革命はネット化されないであろう、あるいは伝説のオールナイトニッポン

毎週金曜日は至福の時間である。
24時半より大友良英のJAMJAMラジオ、ついで25時よりAKB48のオールナイトニッポンを聞くのだ。全く異分野で同じように大好きな存在を続けて感じられる幸せは、他にはちょっと見当たらない。




AKB48のオールナイトニッポンは、毎週18歳以上のメンバー3人がランダムで出演することになっている。今夜は秋元才加、葛西智美、倉持明日香の3人だ。
あらかじめ本人のブログで予告されていたように、放送は秋元才加によるスキャンダルの事情説明・謝罪から始まった。25時を伝える時報のあと、静かに語り出す秋元。

「今回の件でお騒がせしてしまった皆さん、ご迷惑をおかけしてしまった皆さん、本当に申し訳ありませんでした。すべての責任は私にあります。広井王子さんを以前から演出家として尊敬していた私は、泉鏡花の舞台に臨むにあたり、演技についての相談をさせていただいていました。そのため広井さんのお家に泊まったことも、自宅に泊めたこともあります。それは事実です」

言葉に時折嗚咽が混ざる。

「しかし、広井さんはお嬢さんと一緒に住んでいらっしゃいますし、私は梅ちゃん(秋元と同じAKB48チームKのメンバー・梅田彩佳)と暮らしていますし、なにより広井さんは父より年上で、まさか噂になるとは考えていませんでした」

話は当日の事情に及ぶ。

「あの日はレストランで待ち合わせて演技の相談をさせていただく予定だったのですが、私の仕事が遅くなってしまい、広井さんにお家に来ていただくことになりました。私が練習をしている間に広井さんは寝てしまい、梅ちゃんと相談して、そのまま寝かせてあげることにしました」

「言い訳のようなことしか言えない自分が悔しいです。
私はチームKのキャプテンとして皆に模範を示さなければいけない立場であるのに、今回このような事態を招いてしまいました。わたしにはキャプテンの資格がないと思います」

懸命に嗚咽をこらえながら、秋元は告げた。

「キャプテンを辞任させていただきます」





静寂。パーカッションが鳴る。トランペットが絡む。いつものオールナイトニッポンだ。しかしいつものBGMの向こうから、メンバーの声は聞こえてこない。
代わりに聞こえてきたのはすすり泣きだった。

「本当に・・・キャプテン辞めちゃうの?」

葛西智美の問いかけから、湿っぽい空気のまま番組が始まる。
どうやら秋元はキャプテンを辞する決意を誰にも告げていなかったようだ。メンバーが動揺を隠せないのも当然かもしれない。
波乱の幕開けを修正すべく、どうにか通常の進行を試みる秋元。ぎこちなく従う二人。
普通ならこのまま何事もなかったように終わっていただろう。しかし、AKB48のオールナイトニッポンは終わらなかった。
AKB48とは、AKB48にまつわる現象すべてのことを指すのだ。




ブレイク後、リスナーからのメールは当然のごとく秋元に向けられたものばかりだった。
「辞めるな」「一から出直せ」「そもそも悪くない」「責任を取る姿勢は偉い」
趣旨は様々だが、そのどれもが秋元才加という人間と同じ、AKB48と同じ、熱い想いに溢れたものだった。

ひとつひとつ読み上げるうち、持ち直していたメンバーが再び泣き出してしまう。この調子ではとても番組にならない。
放送継続が危ぶまれた瞬間、すさまじい悲鳴が響いた。





この上いったいなにが起こったのか。強盗でも飛び込んできたか。

「こらー!キャプテン辞めるなんて言うなよー!」

違った。飛び込んできたのは強盗ではなく、秋元とセットで“ツインタワー”と称されるチームKの主力・宮澤佐江だった。放送を聞いていてもたってもいられなくなり、急遽駆けつけたのだという。

そこからはまるで雪崩が起きたようだった。

増田有華(チームB)、佐藤夏希(チームB)が来る。

大島優子(チームK)からメールが届く。

秋元に代わって進行を務めることになった宮澤がそれを読み上げるも、
「これからもずっと才加についていきます。私は才加の側を歩いていくよ」
という感動的な文面のうち「側」を「がわ」と読み間違ってしまい、途端ブースは弾けるような笑いに包まれる。重苦しい空気がようやく緩んだところに、再び悲鳴が。

チームAのキャプテンであり、AKB全体を支える“AKBの良心”高橋みなみだった。就寝前だった高橋は、パジャマにサンダル履きでタクシーに乗ってきたのだ。
同じキャプテンとしての重責を知る彼女が言う。

「たしかに、今回のことは才加にミスがあった。だけど人間だからミスはあるよ。それを反省してがんばればいいじゃん」

力強く冷静な言葉だ。そして突然の登場に戸惑うメンバーに向かって叫んだ。

「だってさ、あんなの聞いたら来るに決まってる。来ない方がおかしいよ!」





もうこうなってしまえば、座はほとんど葬儀の後の宴会だ。
さらに梅田彩佳(チームK)、松原夏海(チームA)、小林香菜(チームB)が加わり、湿っぽい空気はどこへやら、女の子同士の楽しげな会話が広がっていく。

膨大な数の激励メール、予期せぬメンバーの登場に、秋元はすっかり感極まってしまったようだ。ファンへの感謝、AKB48の絆の強さを涙ながらに語る。
BGMはチームKの代表曲『草原の奇跡


最後に今一度秋元から謝罪と決意表明があり、2010年10月15日、AKB48の歴史だけでなく、オールナイトニッポンの歴史にも残るであろう波乱の放送は幕を閉じた。
放送終了時、3人だったメンバーの数は9人にまで膨れ上がっていた。





(文中の括弧内におけるメンバーの台詞はすべて、筆者による大意要約です)










今は伝説の作り方、作られ方が変質しつつある時代だと思う。
伝説が作られる条件はいくつかあるが、最も重要なのが「露出を控える」ことだろう。
噂を聞く。しかし見れない。気になる。伝える。
こうして噂はとめどなく広がっていき、「気になる」気持ちが体系化されるのだ。これが旧来の伝説の有り方であり、時に歪められ、時に誇張された噂の上に成り立つという特徴を持っていた。
思えば、80年代来るべきネット社会を予見したいとうせいこうの名作『ノーライフキング』にしろ、匿名のコミュニケーションを電話に託して夢想した小林恭二の『電話男』にしろ、発想の大元は噂が構造化されていく恐さ、奇妙さに拠っていた。
ノーライフキング』の中でいとうは、噂のネットワークがノンヴァーヴァルなコミュニケーションとして機能するという仮説を立て、その生成場所を学校や塾など子供たちの“現場”に求めた。このうち噂を街との関係において深化したのが『ワールズエンドガーデン』、子供の大胆な発想力を主眼に置いたのが『アタとキイロとミロリロリ』『難解な絵本』だったと言えるだろう。
ネットワークに結びつけて子供を思考したいとうの姿勢は実に先見的なものだった。

しかし現在、噂は構造化されない。
パソコンでネット通信を手に入れた子供達の行動はこうだ。
噂を聞く。ネットで調べる。アウトラインを掴む。
そこにはコミュニケーションが生まれる余地すらない。なぜなら、コミュニケーションは図られる以前に既に成立している(ような気がしてしまう)からだ。

ほとんどの物事をネット検索で知ることができ、見逃した映像を動画共有サイトで見ることができる時代。
失われたのは「気になる」気持ちの密度と、一回性を前提とした共有意識だろう。

少なくとも、筆者の中学時代までは「昨日あの番組見た?」「見た見た、すごかった!」という会話がまかり通っていた。しかしこうしたやり取りは、今ではほとんど牧歌的な印象すら受ける。
何日の何時からという制約を超え、オンデマンド配信で見たい番組を見れる現在。一回性は失われ、同じものを見ているという共有意識、同じものを見たという経験的喜びは過去のものとなった。テレビ業界不振の原因の一端はここにあるだろう。

構造化する端から自壊していってしまう噂の前で、伝説はいかにして形作られるか。
この問いに対する回答の一助となったのが、神聖かまってちゃんの登場だった。
露悪的とも取れる自己演出とネット上での楽曲配信によって、彼らはたちまち生ける伝説となった。「露出を控える」という旧来の方法論は「過度な露出によって真相を追わせなくする」という逆説によって乗り越えられたのだ。加えて、音楽が強いのは“ライブができる”という点だ。
動画共有サイトで芽生えた「気になる」気持ちが「一回性を前提とした」イベント、すなわちライブに向かうことによって爆発する。実際、彼らはそのライブパフォーマンスでも話題になったのだ。

だがこのことは同時に、音楽以外のメディアでの伝説創出の困難(例えば映画における一回性はとうの昔に放棄されている)と、CDやレコードなど記録物の有り方(Youtubeでタダで聴ける音源を金銭を支払ってまで入手する人間の総数は?)についての問題提起でもあるように思う。

革命はもはや、ネット上でしか起こらないのか。

半ば諦めかけていたところに、今回のオールナイトニッポンだ。
出演者による謝罪から始まり、テーマ曲が流れるさなか嗚咽だけが響き、しまいには出演予定のない者が次々駆けつけて登場する。
こんなむちゃくちゃな放送が過去にあっただろうか?
これはまさしく事件である。

無論、この素晴らしい夜とて記録されるに違いない。(この文章がそうであるように)
噂になり、記事になり、情報になってネットを駆け巡るだろう。
それでも今夜リアルタイムで聞いていた者の興奮が再現されるとは、やはりどうしても思えないのだ。



80年代的な悪夢の予見がそれを上回る数の悪夢によって無化された現在。それでもこの夜、革命はラジオ化された。可能性は完全には失われていなかった。
そのことに気付いた僕はAKB48のファンとしての感動とは別の、もうひとつの喜びに打ち震えていた。伝説はもはやハプニングの中にしか生まれ得ないのかもしれない、という一抹の寂しさを背中で感じながら。