物騒な時節

(上にもあります)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100627-00000084-yom-soci
 埼玉県でお地蔵様が壊される事件が続いている。お地蔵様を壊すことになんの意味があるのだろう。お寺に怨恨があるのか、あるいはお地蔵様そのものに恨みがあるのか、それともお地蔵様を壊すことに快楽を感じているのか。どちらにしても不気味なヤツだ。
 元々、お地蔵様というのは、本地は閻魔大王なのである。こんなくだらないことをしていると間違いなく地獄行きで、そこで永遠の責め苦が待っているといっても、今日日は子供でも信じやしないか。なんだか殺伐とした社会になってしもうたのう。
 閻魔大王よりも、そこいらへんにいる普通のオジサンやあんちゃんのほうがよっぽど恐ろしいことをするご時世だからね。
 コラムニストの江草乗さんが、自身のブログ「江草乗の言いたい放題」でこんなことを言っていた。
《この世で一番無敵なのは、何も失うモノを持たず、死ぬことによって失うモノが自分の命だけという存在である。》
 と前置きしながら、「中年フリーターが社会の不安定要因を高めている」と言う。
確かにこのところ、広島マツダの引寺(ひきじ)利明容疑者(42歳)を始めとして中高年の意味不明の事件が多いような気がする。
 それに対して若者というかガキの犯罪は、いじめからエスカレートするリンチ、あるいは人間関係の破綻による自殺、殺人が多い。こっちは無差別ではなくある特定の人間を血祭りに上げる。物騒になってきたもんだ。

プラーヌンクスツェレ

 金曜日の夜に開催された読書会で間違いがあった。「事業仕分け」の話をしているところで、市民参加の是非についての話題になった。そのとき、ワシャがドイツの市民参加の一形態として「プラーヌンクスツェレ」の例を出した。
「プラーヌンクスツェレ」とは「プラーヌンク」が「planung」で「企画」という意味だ。「ス」は複数の「S」だろう。「ツェレ」は「zelle」で「細胞」を指す。だから、直訳すれば「企画政策細胞」とでもなろうか。なんのこっちゃ?
 要するに「行政の企画政策をするための小さな単位」というニュアンスなんでしょうね。
 この手法は、無作為抽出で市民を選考し、その中から会議に参加できる人を抜粋して、一つのテーマにつき4日くらいの集中審議をしてもらう。最初は戸惑うだろうが、2日目、3日目になると慣れてきて、きっちりと自分の意見を言えるようになるそうである。
 これからはこういった形態の市民参加が求められるのではないか。レギュラーメンバーで回していく行政はそろそろ卒業したほうがいい。