「文藝春秋」3月号

 今号は待ちに待っていた。
 芥川賞を受賞した田中慎弥氏の発言に対する石原慎太郎氏の選評が楽しみだった。石原さんが「共喰い」をどう評しているのかが気になるじゃないですか(笑)。
《読み物としては一番読みやすかったが。田中氏の資質は長編にまとめた方が重みがますと思われる。》
 緊張してヒステリーでさえあった田中氏の記者会見を受けたコメントにしては、余裕の、大人の、そして一流の文学者の評であった。石原さんの勝ちだな。
 そして「共喰い」の本編である。芥川賞は短編・中編が対象なので、さすがに単行本を買ってまで読むほどではないと思っている。だから「文藝春秋」への掲載はありがたい。
 読んだ感想は、インタビューで見て、かなり奇矯な人だと思ったので期待をしていたのだが、「限りなく透明に近いブルー」や「エーゲ海に捧ぐ」のほうが良かった。
 その後、受賞の熱が去ってからのインタビューでは普通の変人になり下がっていた。奇矯さでいくと、西村賢太氏のほうが勝っているし、「苦役列車」を読んだ後、彼の他の作品が読みたくなって、実際に何冊も読んだが、田中氏の作品は、次が読みたいとは思わなかった。

 特集「日本の自殺」も良かった。今月号に筆頭論文として掲載されている。しかし、これは1975年に「文藝春秋」誌に載ったものだった。なんと39年も前の論文なのだが、現在、日本が陥っている重篤な状態を見事に予見しており、これは恐ろしい。
 戦争に負けても、巨大な天災に襲われても、文明はなかなか滅びない。しかし、一旦、人が腐り始めると、文明はあっという間に歴史から消え去っていく。ギリシアしかり、ローマしかり、人が「パンとサーカス」を求め、為政者が「パンとサーカス」を際限なく与えるとき、日本という奇跡のような文明は滅ぶ。
 最近、宮崎学さんの『「自己啓発病」社会』(祥伝社)を読んだ。その中で宮崎さんは、民主主義の統治形態に触れ、こう言われる。
《日本においては、民主主義とは自己統治であり、統治される者は同時に統治されるの者であるということが理解されていない。そして、民主主義の名の下に民主主義とは反対のことをやっているのだ。つまり、国民は「国はなんとかしてほしい」と要望するだけの「要望主義」になってしまっている》
パンとサーカス」をおねだりする国民は、まさに我々自身のことではないか……といろいろ考えさせられる。

「テレビの伝説」も面白かった。ワシャの好きな松坂慶子石坂浩二とNHKの大河ドラマについて対談している。松坂さんのこんな天然の発言がいい。
《「草燃える」も昨日見ました。自分で言うのもなんですけど、キレイなんですよ(笑)》
草燃える」は1979年の作品だから、松坂さんは御年27歳、それはお綺麗だったでしょう。
《私、“前世”と言っているんですけどね、あの頃の自分を》
 松坂さんのとぼけた表情が脳裏に浮かんでつい吹き出してしまいましたぞ。

 そして大当たりは、同じく「テレビの伝説」に掲載された倉本聰の特別寄稿だ。題は
《頭の中の「北の国から」―2011「つなみ」》である。
 ワシャは倉本聰に傾倒していた。傾倒のあまり一時期は脚本家になろうと真剣に思っていたくらいだ(笑)。
 そんなことだから、倉本脚本はほとんど読みつくしている。中でも倉本大河「北の国から」のシナリオは何べん読んだことだろう。映像も通しで何度も観た。それに五郎と純と蛍のキーホルダーまで持っている。大ファンと言っていい。
 ドラマ「北の国から」は2002年に完結している。そう思っていた。しかし、倉本さんの頭のなかではドラマは最終回になっていなかった。五郎も、純も、蛍も、みんなそれぞれのポジションで生き続けていた。最終回の続編が今回の特集で掲載されたのである。ううう……読みながら泣いていた。純は結と別れ、シュウは五郎を慕い、なんとあのレイちゃんまでが再登場してくるのだ。「北の国から」ファンでないと何を言っているのか解らないと思うけれど、それぞれの10年後を読めるとは、ファンにとってはこの上ない幸せである。

 その他にも、NHK朝ドラの「カーネーション」の主人公を演じる尾野真千子の手記、「金正男の衝撃メール」、瀬戸内寂聴村山由佳との対談も、女性を知るという観点からとても勉強になった。
 そんなこんなで、「文藝春秋」3月号はとてもお買い得だった。