坊っちゃん

坊っちゃん

坊っちゃん

 俺はもしかしたら江戸っ子なのかもしれない。
 我が第二の故郷にも等しい愛媛が舞台の小説だが、実に野蛮な、品性の欠片もない、それでいて実直さもない、田舎らしい住みにくさを感じさせる内容だった。ところどころ、たとえば踴りであったり蕎麦であったり、温泉であったり、褒めるには褒めているが、観光地レベルの褒め方だ。
 自分が愛媛に住んでいたときの印象とはまるで違うなと。あすこはもっとこう、穏やかで世話焼きで自己主張の少ない人の多い地域だと思ってた。まあ実態は違うのかもしれないな。どうなんだかな。


 東京の人間がはるばる得体のしれない土地へ来た感想と見れば、なるほど納得できるもので、この坊っちゃんはいわゆる俺なんだな。広島、あるいは愛媛という土地から東京へやってきた俺そのものなのだと。
 なんだかこう実に鏡を見ているかのような、手に取るように伝わる坊っちゃんの振る舞いや感性が身に沁みた。
 方向は逆でも郷里へ馳せる気持ち、道理に沿わない野蛮な振る舞いへの憤り、一から十までとても理解の出来る内容で、ある種江戸っ子らしさというのは日本人古来誰もが持っている感性であり、最も感情移入しやすいタイプのキャラクターなのかもしれない。


 これほど感情移入できる物語が百年の時を経て読まれ、毎度読者を楽しませるのだから夏目漱石というやつは恐ろしい。
 煩わしい設定は一切無く、カラッと読める内容で、この辺りも江戸っ子気質を感じられたりする。特に、頑なにアダ名で登場人物を呼ぶあたりは考えられていて、赤シャツやら山嵐やら、言葉の響きだけで漫画のような絵が浮かんでくるほどに、想像力を掻き立てる。凄まじいセンスだと、これまた百年の時を経て思う。
 いつの時代も、登場人物の名前を覚えるのが煩わしい物語はあるものだが、この小説の場合はアダ名さえ覚えていれば情景が浮かぶ。のめり込んでしまう魅力があった。
 あえてケチを付けるなら、随分と幕切れがちゃちなところぐらいか。
 いや、むしろ今の時代は派手な最後を望みすぎているのかもしれないな。


 幼年期でなく、「今」見ることに価値のある小説だった。
 郷里へ馳せる思いはいつの時代も一緒ですな。