(価値観の文章化、のために)
「尊敬する人」を挙げるというので、あらためて著書を眺む。
自分の好きな作家たちの作品と、その中に詰まった「知」。
特に立花隆、吉本隆明の著作など、作品の中にさらに「他の哲学者や科学者や思想家、政治家や作家の批評」が満タンでさながら知識のデパート。
- 作者: 吉本隆明
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ぼくはこんな本を読んできた―立花式読書論、読書術、書斎論 (文春文庫)
- 作者: 立花隆
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
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特にこういった賢人の「読書歴」に触れると、感心もするが嘆息する。
とても追いつかない気がするのだ。
実際、全然追いつかない、全然。
虚無感すら。
そして純粋に思いもする。
『人生の可処分時間の中で「一番大きな」シェアを費やすほどの多読』は何をもたらすのだろう、と。
頭の中に入れた知識、あるいはエッセンスを反応させ、熟成させて「思考」するようすは、自分には
「直径10mくらいの大きな釜に詰まったどろどろの熱い粘液を、巨大な木の匙を必死に操ってゴリゴリ混ぜている」ように感じる。
エラい大作業だと。
知識の集積がそれこそweb状になり、知識の網の目が英知(((1)すぐれた知恵。深い知性。(2)〔哲〕 真実在や真理を捉(とら)えることのできる最高の認識能力。)) となっていくのは想像できるのだが、あまりに広い海にボートを漕ぎ出すようで、ため息をつく。
自分なりの海域で、自分なりに漕いでいればいいのだろうが。
自分のチャート(海図)を作らねば。
その人を知る、ということ。
それにしても、巨匠ホロヴィッツは言う。
『作曲者を理解するには、その人の作品を年代順に通して、一度全部弾いてみるんです。そうすると、彼の生きてきた時代の様子や、彼の気持ちが分かります』
アート・オブ・ピアノ-20世紀の偉大なピアニストたち- [VHS]
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同様に、「尊敬する人」というからには、その人の全ての著作くらいは読んでおき、「その世界での立ち位置」くらいは把握していないと、なかなか胸を張って説明できない。