藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

やってみなはれ。


先の大阪都構想の結果はずい分僅差だったが、主に60代以上が反対したという。
事前の争点整理が十分ではなかったという感じもするけれど、いわゆる反対派の声を聞いていて何か典型的な守旧派の匂いを感じたのは自分だけだろうか。

「サービスの質が下がる」「弱者負担が増える」と言う声が過半数を超えてしまったのは、すでに大阪も「成長都市」ではなくなったように感じた。

二重行政についても「互いに存在することには意味はある」とか、その反対理由を聞いていたら、滅び行く共産国家とか、あるいは倒産の危機に瀕していたJALの最期の労組のコメントとそっくりだと思ったのである。

一般的に、年長者とか、支配層と言われる人(官僚や政治家)とか、富裕層とかが「自己主張」を始めたら事態は硬直する。
物事は「問題解決的」ではなくなるからだ。

コメディアンですら知事に選出する関西の洒落た気風がいよいよなくなったのではないか。
「やってみなはれ」がイノベーションの原点だったような関西だが、いよいよ衰え始めているのではないかという気がする。

橋下知事の投げかけた一石は、多分これから無駄にはならず若い力が再び出てくると信じたいが、関西市民がまず「関西国をどうしようか」ということを井戸端で真剣に語らないと折角の萌芽が枯れてしまうのではないだろうか。
関西人の「おもろいところ」をぜひ思い出してもらいたいと願っている。