ぼちぼちやっている

院試も近づいてきたので、ぼちぼち勉強しないと駄目であるので、やっていたりする。
学校も終わったわけで、目標は一つのみ。
比較的わかりやすい状況になってはいるけれど、不安というのも私の頭の中にやはりちらつく。
必修の試験があまりできなかったので、落ちていると思うと、これからの処世というのも考えないといけないからである。
しかしながら、いたずらに不安に惑わされていても仕方がない。


Rio

Rio


そういえば久しぶりにAmazonでいろいろ買ってみた。
CDを買うなんてもう何年もご無沙汰であったが、聴いてみたくなったので購入。
disc1はよく理解できないけれど、disc2は比較的聴きやすい。
ドイツや日本での演奏と違って、南米的な何かが演奏に紛れ込んでいるといいなぁと思い聴いてみたけれど、
あまり私にはよく分からない。そもそもキース氏のピアノを理解して聴ける人なんてあまりいないように思うけれど。
キース氏の音楽を聴くようになったのは、ドイツのケルンコンサートでのワンフレーズに圧倒されたのがきっかけだけど、
あのフレーズを超える音楽にいまだに出会っていない。
懐かしいような、過去を穿り返されているような、懐古的なフレーズだけれど、
この世のものではない異形が混じっているように思えた。
そのフレーズを聴いている瞬間が、まるで遠い未来から回想している過去に思えてくるようなフレーズなのだけど、
あれは不思議な感覚である。それが何度聞いてもそうなのだから、もっと不思議。
ある小説にキース氏の音楽が登場しているのを最近目にしたけど、「まわりくどい音楽」と評されていたけど、
確かにその通りかもしれない。


混沌からの秩序

混沌からの秩序


本も買った。値段が張った。図書館でも探したけれど、すべて研究室所蔵で借りることができなかった。
プリゴジンという偉いノーベル章受賞者の書いた本である。
経歴から見れば、そもそも化学の勉強をしていた人ではないようで、知識の幅もものすごく広い。
プリコジンというのは、とても有名な人で、いろいろな本にその名前が出てくるので、そろそろ読みたいなぁと思っていたのだけど、
買って読んでみると、映画3本文くらいの値段なのだが、それくらいの価値はある。
一昔前にはやった、「生物と無生物の間」という新書があったと思うけれど、これもオリジナルはプリコジンにあるはずである。
「自己組織化」とか「動的平衡」とか、一時期ああいうのが流行ったし、
その理論というのは生物の枠を超えて、社会一般論まで拡張しても無理はないように思えて、数年前大いに流行ったのだが、
こちらが本家本元だと思われる。


一応自分のメモ用に書いておくと、ニュートン力学は不可逆過程はないのだが(時間を巻き戻しても同じ)、
熱力学の第二法則では、不可逆過程の存在が明らかにされ、それは元に戻せないという時間の方向性をも示した。
ニュートン力学では、時間というのはただのパラメータで、過去に行ったり未来に行ったりできるわけだけど、
第二法則以来では、そのような古典的な時間の表現の仕方は受けが悪いらしい。
時間というのはそういうもんじゃないだろうと、例えばベルグソンなどは哲学の側からアプローチしたわけだけど、
プリゴジンは、ベルグソンとはまた違う側面から、新たな時間の意味についてアプローチしたかったらしい。


読んでいると、面白いからじわじわこの夏に読もうと思っている一冊。
「自己組織化」とか「非線形」とか一時期流行ったけど、あれが呼び水になって理系を選んだ人も多いのではないかと思うが、
しかしながら、私が学ぶ学科では、古典的な話しかまともに習わないわけで、半導体など非線形素子も出てくるけど、
線形のほうが扱いやすいから、多少無理して線形化してみたりするわけで。
理系の夢の部分と、現実の部分というのは、随分違うとは思うけれど、そもそも古典といわれるものだってマトモに理解しようとすると、難しい。


この頃は、こんな感じで過ごしている。なるようにしかならない。
はてなブログは、広告表示がないのが売りだったはずだけど、無料ユーザーのブログには広告が乗っけられることになってしまった。
何とか消す方法はないものか。月300円くらい払うしかないのだろうか。
広告の見た目といい、結構生理的に受け付けないような広告なわけで、それも運営者の意図なのだろうけど。

やられちまった悲しみに

今日は研究室の仲間に借りていたノートを返しに学校へ。
その時、掲示板を見て電磁波の講義の単位を落としていることを知った。
必修であり、これがないと卒業ができない。
運悪く今年は追試をしないという。今まで毎年追試はあったのだが、なぜだか今年はしないと講義で言っていた。
久しぶりに「退学の危機」に直面している。
とにかく説得して追試をさせなければならない。
前の後期に「退学になりかけた」なんていうのは何度か体験していて、耐性というのは多少はついているとは思うが、
やはり気分がよいものではない。
追試さえあれば、普通通りもう一度チャンスはあるのだが。
しばらく、喫緊の用事が二件ほどあるので、そちらの二件が終わり次第、教員に直談判に行くつもりであるが、
しかしながら、気持ちが落ちている。


そういえば、ある教員によれば、本当に退学になるとき学校側からは電話がかかってくるらしい。
今のところそれはないのだから、前向きに頑張ればよいのだが、一つでもこういう卒業できない可能性というのがあると、
なかなか気持ちが前に向かないものである。
常識的に考えれば、毎年多くの人間が落とす科目だから、追試はあるはず。
だけれど、そういう常識で考えて自分を納得させようとも、落ち込んだ心はなかなか元には戻らない。


今学期はもうすぐ終わるわけだけど、毎度毎度、何かしらトラブルが持ち上がってくるなぁ。
普段怠けているからだろうとは思うが。
前の学期は実験レポートで退学になりそうになったし、事実、あと一歩で退学だったとは知り合いの教員から聞いた。
いまだに同じようなことをしている私はつくづく進歩のない人間である。


元気出して、喫緊の二件にとりあえず取り組んで、悩むのはそれからでもよいだろう。
どうせ退学になるんだったら、一週間遅かったり早かったりしても、別段変わりはないわけで。
前の後期も思ったけど、いざ「退学」という事実を目の前まで持ってこられるとやはりビビる。
目の前まで持ってこられないと、私はわからないらしい。頭が悪いのだろう。


ブログに弱音を書くと、少しばかりすっきりもする。
大学院の前に、そもそも卒業できへんかもなぁ。
そんな予感も結構ある。
折角、進級したのにねぇ。
路頭に迷うかもなぁ・・・。