たんに生きることだけをまずは肯定する社会へ(草稿)

生を肯定する倫理へ―障害学の視点から

生を肯定する倫理へ―障害学の視点から

拙著を20分〜30分で説明できるよう、要約しました。本来ならすべて読んでいただければありがたいのですが。自分の著書のレジュメを自分で作るのは、変な気分ではありますが、作成しましたので、ここにまずは上げさせていただきます。

併せてご覧ください。
『生を肯定する倫理へ――障害学の視点から』
http://www.arsvi.com/b2010/1106ny.htm

  • 本書の目的と構成

 拙著『生を肯定する倫理へ――障害学の視点から』は、「障害者が生きる」ということに定位しながら、そこから普遍的な社会原理の探求を行ったものである。そこにはもちろん言うまでもなく、何らかの障害がある人が、障害があることだけ――医学モデル的にはその障害が「重度」であればあるほど――で現在の社会においては生きづらい状態に捨て置かれているという事実に対する憤りがある。そして、こうした「生きづらい状態に捨て置かれている」生は、障害者だけではない。本書は、ひとまずは障害者に焦点をしぼって議論を進めるが、同様なことは、障害者と同じく生を蹂躙されている存在に対しても言えるはずである。従って本書は、障害者問題を特殊な問題である――無論、個別に解決すべき問題は山ほどあり、本書でも触れることになるが――と考えず、むしろ障害者の問題を考えることによって、そこから照射される社会の正しさの問題を考えようとするのが、本書の目的である。
 そのため、まずは障害学、とりわけ日本の障害者運動の軌跡をたどりながら、医学モデルと社会モデルとの相違、優生思想への対峙について述べられる。次に、生きていくためには財が必要であるが、働くことができない障害者にとっては、労働の対価の賃金によって暮らすことを前提とする社会において生きることは不可能である。これについて現代倫理学は、功利主義リベラリズムなど、さまざまに分配的正義について論じてきた。それらの議論は障害者が生きることを肯定しているのかについて検討した。次いで、現代倫理学においてもっとも卓越した議論を展開しているように思われるセンの議論を紹介しその議論を考察した。そして、現代の福祉哲学や社会政策においてホットな話題を提供しているベーシック・インカムという仕掛けについて、その仕掛けで最重度の障害者が生きていけるのかどうかについて検討した。さらに、現代の生命倫理学において障害者の生を結果的に否定するような議論を展開しているシンガーの議論について、動物解放の論拠が障害者差別を生じさせてしまっていること、そして、「グローバルな倫理」をシンガーが提起するときに陥っている罠があることを指摘した。その結果、シンガーらが拠って立つ倫理学には根本的な欠陥があることを示し、別の観点から社会の正しさは考えられなければならないということを本書は主張している。

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