新社会人、東北でボランティアをす。前篇

2011年10月14日金曜日から16日の日曜日にかけて、宮城県石巻市でボランティアに参加してきました。具体的にはピースボート*1セーブ・ザ・チルドレン*2と地球の楽好*3というNGONPOのアクティビティに参加しました。勤めている会社が震災後に定期的に企画しているもので、自分で計画して全ての費用を負担するものではありませんでしたので、ボランティアとしてはとても優遇されたものだったと思います。ですので胸を張ってボランティアを完遂したとは言えません。そもそも、短期のボランティアはその場で続く長期的な営みのごくごく一部に参加するものでしかありません。しかし、それぞれが自分の置かれた状況で少しの機会を最大限に活かして、今生きている人を助けるという行為を最も直接的に行えるのはボランティアだと思いました。ボランティアを機会に部門を越えた交流が生まれたり、目に見える共同作業を通してチームワークを深めれば、会社にとってもプラスになるはずです。このような活動をする企業や団体がこれからも増えることを願っています。組織だからこその強みを発揮できますし、企業が持つお金と広報が力になることも多いはずです。まだまだ被災地は助けを必要としています。

●ボランティア前 〜ボランティアにはお金がいる〜
当たり前のことなのですが、ボランティアに行くにはお金がかかります。交通費や宿泊費だけでなく、作業に必要な道具や衣類(安全長靴、安全ゴム手袋、上下セパレートのレインコート、カーゴパンツ(ジーパンやジャージは乾きにくくポケットも使いづらい)、帽子、ヘルメット、防塵マスク、飲料水、抗菌ウェットティッシュ(食器洗い代わり)等)。ドンキホーテにはお世話になりました。かなり高価なものも含まれるため、作業終了後、私たちは安全長靴と安全ゴム手袋は洗ってピースボートに寄付しました。

●初日 〜なんだ旅行と変わらないじゃないか〜
金曜日、フレックスタイムを使って仕事を早く切り上げ、はやてで仙台へ向かいました。新幹線では「思想地図β2」*4という震災後の日本人の思想の変化を分析した、東浩紀さんが編集長の本を読んでいました。「被災地に行く」という気持ちが高ぶっていて、何か震災関連で刺激になるものを見ていたい心境だったからです。しかし、その気持ちとは反対に、震災後は関東圏も照明が少なくなっていることも手伝って、仙台に近付いても夜の新幹線からは被災地の情景を感じ取ることはできませんでした。仙台からのバスは既に会社によって手配されており、まるで旅行と同じように荷物を積み込んで出発しました。仙台から松島のホテルへ向かう道も、「意外と普通なんだな〜。照明も結構ついてるんだ」とか「明かりがなくなっても元から田舎だからかもしれないな」と被災地を実感できずにいました。松島のホテルは夕飯もしっかりしたものが出て、ゲームセンターも稼働していたし、なにより素晴らしい温泉がありました。少し異様だったのはホテルに宿泊しているのが日焼けしたいかつい方ばかりだったことです。皆さんボランティアの方々だったのでしょう。「ボランティアに来たのに意外と旅行と変わらないな。本当に被災した人たちの役に立てるのだろうか」と思いながら、初日は床につきました。

●2日目 〜津波の被害を初めて見る〜
早朝にバスに乗ろうとして驚きました。昨夜は気づきませんでしたが、ホテルの周りの地盤が沈下して、建物と地面に数センチの隙間ができていたのです。よくみると周辺の地面にも傷跡がそこかしこに見られました。2時間近くかけて石巻市雄勝町にある今回の活動場所へバスで移動する道中はそんな比ではない被災地へ近づく感じが景色から伝わってきました。海に近付くにつれ、大破した家屋、周りに大破した家があるゆえに存在が強調される無傷の家、未だに通行止めの壊れた橋、川の中に放置された瓦礫や壊れた船、ボディのほとんどがなくなった車、津波の影響か台風の影響かため池になってしまった土地、崩れる壁や電柱、津波に運ばれたバスが乗ったままの建物などがありました。それでも大きな瓦礫はこの半年で道路からは撤去されており、道路は復旧していたため、震災当初と比べると断然状況は良くなっていたとのことです。それでも、現状は依然として悲惨に見えました。


空き地に積まれた瓦礫

津波で流されたバスが屋根の上に乗っている

以前の雄勝町の様子を誠の記事が取り上げていました。このころと比べれば、確かに復旧は進んでいるようです。津波の脅威は正に想像を絶するものです。
相場英雄の時事日想・震災ルポ(4):奇妙な鉄の棒の正体は? 被災地で見たもの (1/4) - ITmedia ビジネスオンライン

ボランティアの作業についても書きたかったのですが、本日はここまでにします。ご精読ありがとうございました。