週末の記録


金曜の夜は、近所の韓国料理屋へ。最寄駅の近くだけど入るのは初めて。目当てのカムジャタンは売り切れだったので、とりあえずチャミスルとマッコリを注文、石焼ビビンバと純豆腐、チヂミを食べる。接客のおばさんと色々話して、いい人だったので、また行きたくなった。



土曜日はお昼から、先週と同じく皇居へ。
先週、私もB&Dでランニングシューズを買ってしまった。同居人のを新調したとき可愛いのを見つけて、欲しくなって(笑)走らないのは勿体ないけど、週一で歩くだけでも、好きなのが履きたいから。
竹橋駅の改札を上がったあたりで、ランニング用の音楽配信サービス「EXERMUSIC」(公式サイト)の試聴盤を配布していた(うちに帰って聴いてみたけど、金さんの喋りに合わせて行うウォーミングアップ部分はいいなと思った。促されればなんとかやれるかも・笑)。以前見かけた、長谷川理恵のトレーニング用コンピ(asin:B001DETG8O)はちょっとだけ欲しいな…。
残念なことに先週同様、同居人がふくらはぎの痛みでリタイアしたので、途中から一緒に歩いて回った。皇居は一周5キロ、彼が四周する間に私が歩いて二周というのが今後の予定だけど、今んとこ私は一周が限度。それに、前回は初体験で浮かれてたせいか、終わったあとに歩いて帰れたけど、この日はくたびれたので地下鉄に乗った。
帰宅してお風呂や洗濯、ごはんなどの後、神宮外苑のいちょう祭りへ。先日は早すぎたけど、今回は見頃。土曜日なので(歩行者天国になる日曜日と違い)歩道も掃かれておらず、落葉が楽しめた。出店で買ったビールとワイン、いわしの天ぷらとモツ煮で休憩。どれも美味だった。
新宿へ戻り、ツタヤで「HEROES/ヒーローズ」シーズン2の最終2巻と、「ブルース&ロイドのボクらもゲットスマート」を借りて帰る。マシオカづくし。

ブルース&ロイドの ボクらもゲットスマート [DVD]

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「ゲットスマート」の開発担当コンビを主役にしたスピンオフで、ストーリーは本編と全く関係ない(アン・ハサウェイの姿が、電話の相手としてワンシーンだけ挿入される)。久々に「トップ・シークレット」の「牛」のギャグを思い出すシーンがあった(笑)
夜はサワラの西京焼きに、厚揚げとナスとアスパラの味噌炒めを作ってもらう。美味しかった。



日曜日も快晴。お昼に起きて、炒めたアスパラとチーズを乗せて焼いたトーストを食べてから、新宿に出てお買い物。ジュンク堂るるぶ発行の「都バスで散歩」を買った。先日都営線の構内でポスターを見かけて欲しかったもの。

東京 都バスで散歩 (るるぶ情報版 首都圏 18)

東京 都バスで散歩 (るるぶ情報版 首都圏 18)

内容はテーマごと&エリア別の路線紹介で、目新しくはないけど、「池袋から渋谷に向かう際、どの交通機関を利用しますか?」…できればバス(山手線で15分のところを50分かかるけど)、の私にとっては、眺めてるだけで楽しい。新宿発の路線は馴染のつもりだったけど、都議会議事堂循環というのは知らなかった。ちなみに私が好きで、常用じゃないけどたまに使う路線は、小滝橋車庫〜新橋と、早大正門〜渋谷。いずれも相当な迂回をして、都心を横切っていく。都バス最長路線(デイリーポータルZ内記事)にもいつか乗ってみたいな。
そういや今夏?東海林さだおの新刊に「無目的にバスに乗ってみる」章をみつけて読んでみたら、どうもバス好きじゃないような書き方でがっかりしたのを思い出した(勿論、仕方のないことだけれども)。
同居人ともども疲れ気味だったので、休憩はせず、高野のケーキと、ヤマモトコーヒー店のドリップバッグを買って帰って、うちでお茶。ケーキは11月限定のいちごのロールケーキ(名前を忘れた)と、ラフランスのと、クリームブリュレ。丸ごとラフランスの中には控え目にカスタードが入っていて、美味しかった。
夜ごはんはさんまとキャベツのパスタと、なすとねぎのミルクスープ。ごちそうさまでした。

未来を写した子どもたち


シネスイッチ銀座にて観賞。館内の階段脇に、作中出てくる写真が幾つか展示してありました。



インドのとある売春街で生まれ育った子どもたちが、女性カメラマンの開いた写真教室を通じ、人生を変化させてゆく姿を追ったドキュメンタリー。


当然ながら町には色んなタイプの子どもがいる。映画の冒頭、ある女の子の言葉で彼等が手短に紹介される。
まずは、女の子たちの格好について色々想像した。派手な色合いでフリルのついた、ごたごたした服の数々は、どこで作られ、売られ、買われているのか。髪を編んだり、リボンやヘアバンド(いつもずりおちそう・笑)を付けたりしてる子は、家族にしてもらっているのか、自分でするのか。また、この服はお気に入りとか、そういうこだわりがあるのかなあ、などと考えた。


子どもたちにとって、自分の家で行われている売春は「見えないよう吊るされたカーテンの向こうで行われているもの」「客が金を払わず逃げれば追いかけるもの」だ。そしてその暮らしは「いつもお金のことばかり」。
作中「売春」を直接感じさせる映像は、街角に立つ女性たちを映したもののみだけど、その結果は、映画の最初から最後まで貫かれている。彼等にとっては、カーテンの奥で何が行われているかなんてことより、売春の「結果」のほうが大きいのだ。街を抜け出したく思っても、学校への入学許可は下りない。


カメラマンのザナは写真の面白さについて子どもたちに教える。よい写真とは何か?情報が多いこと、構図やアングルが面白いこと、個性があること。
子どもたちの一人、アヴィジットの作品はたしかにそうだ。当初、他の女の子の口から「太ってる」とだけ紹介された彼には、写真の才能があった。インド代表としてアムステルダムの子供写真展に招待された彼は、服を新調し、肩で風切って海岸を歩く。
アヴィジットは、写真展でとある作品を前に「これは少し悲しい感じがするけど、ちゃんと見なきゃね」と言う。街の他の男の子も「うちは汚いんだ、お皿の横に靴がある。それをそのまま撮って伝えたい」と言っていた。学校に行かなくたって、そういうこと…写真の意義、を自分なりに考えている。
勿論彼等は、真面目な顔でカメラを構えているばかりではない。皆で海へ行くシーンでは、遊びながら写真を撮るってあまりないよなあ(普通は遊ぶ人と撮る人とが別だから)、楽しそうだなあと思った。しかし、町ゆく人にカメラを向けると「このガキが、どうせ盗んだカメラだろ」などと罵声を浴びせられる(それゆえ撮影には「度胸」も必要となる)というのは想像に難かった。
彼等が日本に来たら、どんな写真を撮るだろう?


ザナが街へやってきたのは、売春婦の女性たちを撮るため。しかし子どもたちと出会った彼女は、人生のチャンスに気付いてもらおうと活動を始める。「ワーカーでも教師でもない自分にできることは限られてる」と嘆きながらも、学校へ入るための資金作りに彼等の写真をサザビーの競売にかけ、展覧会を開く。
私は、少なくとも日本において教員…あるいは子どもにものを教える者に必要な資質とは、「なんでもあり」のこの世の中において、子どもに対し、自分の立ち位置をはっきり示し、付いてこさせるだけの自信を持っていることだと思う。彼女にはそれがあると感じた。


ちなみにこの映画の入場料金の1パーセントは、ザナが設立した支援基金に寄付され、売春窟の子どもを受け入れる寄宿学校の建設運営基金に充てられる予定だそう。映画を観ることでも、少々のことはできる。



「動物園のゾウは、ビニールが落ちてると餌と間違えて食べちゃうんだ、お腹を壊すのにね」