平日の記録



ひなまつりのメニューは、ちらし寿司(別添えで錦糸卵とさやえんどう)と鰆の西京焼き、鶏挽肉とはんぺんの団子入りスープ。どれも美味しかった!
フードショーのラトーナで見つけた可愛いロールケーキは、すごく昔っぽい味。



渋谷での空き時間に、NO.8 BEAR PONDでラテとスコーン。ちょっと落ち着かない店だけど、ラテアートはきれいだし美味。
スタバでは「希少性が高いプレミアムコーヒー」の提供が始まったそうで、どんなものかと、新宿で唯一扱ってるマルイ本館内の店舗へ。選んだのは「ブラジル スール デ ミナス ピーベリー」をコーヒープレス法で抽出したの。黒くて重い特製マグカップでやってきた。私には味が強くて飲み切れず、勿体無かった。

柳亭こみち ネタ下ろしの会


柳亭こみち権助魚」
柳亭こみち長屋の花見・おかみさん編」(三遊亭白鳥・作)
 (中入)
柳亭こみち祇園会」


今回はゲスト無し。ネタ下ろしは、月半ばの白鳥さんプロデュース「Woman's 落語会」に向けての「長屋の花見・おかみさん編」。古典と新作じゃ、同じネタ下ろしでもすり減らす神経が全然違うんだそう。冒頭「こういう私を期待していない方はご辛抱を・笑」。
権助魚」のマクラが、今更ながら大桃美代子麻木久仁子の話だったのでびっくりした(笑・こみちさんは前者に好感持ってるそう)。メインイベントを終え、中入後はリラックスした様子で遠方での仕事の話をし、旅に関する本編へ。


白鳥作品を他の噺家が演ってるのを観ると、一皮、ほんの薄皮を剥けば彼がそこにいるみたいに感じる。この日もやっぱりそうだった(笑)
白鳥版「長屋の花見」は、女房の側も揃って花見に出掛けるというもの。あんな貧乏人達に女房がいるなんてピンとこないけど(作中「江戸じゃ『女が余って』るんだから」との言い間違いアリ・笑)、白鳥さんのことだから、「『長屋』の昭和版の、さらに改作」と考えるとしっくりくる(笑)
例えば白鳥版「寝床・改」は長屋住人側のドタバタを描いたものだけど、あのパワーに比べたら、おかみさんたちがお喋りしながら出掛けるだけの本作は空っぽだ。「由来」ネタの数々は、私の大好きな「ねずみのようなもの」を思わせる。「明烏・改」ほどじゃないけど、終盤また「女の主張」が出てくるのは、彼なりの気遣いなのかな?
盛り上がらない割に長いなあと思いつつ聴いてたんだけど、元の噺だって今よく演られるのは短縮版だそうだし、中入後の「祇園会」だって前半と後半がばらばらだし、そういう落語もありなのかなあと思えてきた。

シリアスマン



本作の上映に関する「監督主義プロジェクト」(公式サイト)の謳い文句「アカデミー賞受賞監督たちが本当に撮りたかった映画はこれだ!」の意味はよく分からないけど、コーエン兄弟が撮りたい映画ってこういうのかあと思った。徹頭徹尾「ユダヤ」にまつわる内容なので伝わってない部分も多いんだろうけど、面白く観た。映画としてのセンスは、そういうのが分からなくても楽しめる。


トルストイの劇の一幕みたいなへんてこな小話が終わると、ジェファーソン・エアプレイン「Somebody to Love」に合わせてキャストの名前が次々に飛び出してくるオープニングが気持ちいい。同曲で閉められるラストにも、これまでの作品にない快感を覚えた。とにかくきっちりしてるところが好み。
無防備な中腰で登場する主人公…おそらく「呪われた」ユダヤ系の中年男性が、「一難去らずにまた一難」状態に首まで漬かっていく様子が描かれる。


冒頭アップになるのは、主人公の息子(と後で分かる)が授業中に聴いているラジオから伸びたイヤホン。コードがやたらくねっている。これは教師に取り上げられ、ラストまで彼の手を離れる。自宅では「厄介者」の叔父さんが「吸い込み器」を常用しており(こんなの本当にあったのかな?)、このコードも相当くねっているのが印象的だ。
主人公が屋根に上ってアンテナを直す場面では、ラジオのチューニングなんかもそうだけど、手探りでぴんとくるものを突き止める感覚、最近忘れてたなあと思った。


中盤ふと、主人公以外の視点でこの世界に触れてみようとしたものの、うまくいかない。そんな所へ「第一のラビ」が「車を初めて見たつもりになるんだ!」「人生は駐車場だ!」などと「視点の転換」を持ち出すもんだから、見透かされたようで驚き楽しかった。

恋とニュースのつくり方



公開二日目、新宿ピカデリーにて観賞。
とても楽しかった。主人公が「今の居場所」を見つける話が、コンパクトにまとまってる。


地元のテレビ局をクビになったベッキーレイチェル・マクアダムス)は、ニューヨークの局で朝の番組のプロデューサーとして採用される。低視聴率を打破するため、メインキャスターとして「伝説のキャスター」マイク(ハリソン・フォード)を引っ張ってくるが、報道にこだわる彼は「軽い」番組作りに協力しない。


冒頭は地元で働くベッキーの様子。「朝」専門の彼女は目覚ましを1時30分にセット、打ち合わせ開始が「5時」じゃ遅すぎる。実際の所は知らないけど、一日の始まりを担うってことで、番組そのものだけじゃなく職場にも独特の雰囲気がある。


異動先での担当は低視聴率のお荷物番組。それでも現場の皆はプロ、「ドキュメンタリーじゃない?」と思ってしまうほど「リアル」に仕事をこなすシーンが挿入される。
ベッキーのテコ入れは爽快に描かれ、観ていて楽しい気持ちになるが、それはマイクとの理解につながるものではないし、先も見えている。しかし作中では放送倫理の類より、仲間や場といったものに重きが置かれている。「砂糖か繊維か」(ジャンクフードか、体に必要なものか)という問題は、「砂糖も繊維も!」が思いがけず実現することであっさり解決する。
例えば学校においては、教員同士の仲が良く協力体制にあることは、子どもにフィードバックされるから、とても重要だ。そんなことを思いながら観ていた。


ベッキーの恋のお相手はパトリック・ウィルソン演じる別の部署の男。周囲の言葉を借りれば「ホット」なお坊ちゃん、ただそれだけの存在だ。二人の関係は物語のメインではない。
主人公にとって重要な領域で深く関わった相手と愛し合うわけじゃなく…つまり主人公がセックスするのになんだかんだ理由をつけるわけじゃなく、セックスはセックス。そこがいい。考えたら製作陣のかぶってる「プラダを着た悪魔」にもそういう部分があった。


「お局キャスター」役のダイアン・キートンは「恋愛適齢期」同様、最後に尻を触られるようになってめでたしめでたし。お尻といえばレイチェル・マクアダムスはやたらパンツ姿を披露、どれも可愛い。「着たきり」っぽいキャラなのに、結構可愛いのを着けてた。