夏休みの記録



SL銀河に乗るため三陸地方へ出掛けた。チケットを取るのが困難なのでパッケージツアーを利用。前日に梅雨明けしたという岩手は目を開けているのも辛い程まぶしく、でも夏休みらしく嬉しい晴れ渡り具合だったけど、朝晩は東京に比べ10度ほど低く過ごしやすかった。



一日目、新花巻で東北新幹線を降り、釜石線に乗り換えて遠野で下車、伝承園へ。
まずは工芸館でわら細工の「馬っこ」作りを教えてもらう。「おばあちゃん」が材料を箪笥から引っ張り出しながらの一時間ばかり、藁を縒る作業からして難しく殆どやってもらったけど(笑)何とか完成。同居人も私も、左足のみぴょこんとはねあがってしまったというすごい偶然。園内の登録文化財、南部曲り家の菊地家住宅は茅葺き屋根の改修中、30年に一度という珍しい作業をちらと覗き見。お昼は「ひっつみ」とヤマメとけいらん、食後に梅ジャムのせソフトクリーム。遠野名物のひっつみのおつゆは、せんべい汁をソフトにしたような味わいで超好み。
裏のカッパ淵までの道のりは、私の父の故郷の北陸の町に似ている、というか「夏休みに帰る場所」そのものという感じだった。ホップの畑なんて珍しいものも見られた。写真は岸辺の祠と、小さくて見えないけど川面に吊るされたきゅうり。



二日目、釜石からSL銀河に乗り込む。駅に到着すると、前日から入線していた旅客車に蒸気機関車が連結していた。改札時に記念のブックマーカー、検札時に乗車証明書をもらう。給水・灰捨てのために1時間停車する遠野駅では「遠野牛弁当」と「かっぱ弁当」を購入、どちらも美味!同居人は前者の玉ねぎが、どうやったらこんなに美味しく煮崩れず出来るんだろうと感動していた。
区間に勾配が多いため、後続には客車じゃなく気動車が使われているそうで、私は分からないけど同居人はそのことを体で感じると言っていた。「銀河鉄道の夜」をテーマにした内装は「テーマパーク」のよう。ギャラリーやソファがそこかしこにあるため、大人しく座っている人は少なく、「満席」なのに空席ばかりの車内はちょっと変な感じ(笑)


他に立ち寄ったところなど。



宿泊したのは「三陸花ホテルはまぎく」。昨年夏、被災後2年半ぶりに営業再開したそう。駅から送迎の車中、大槌町の「復興」具合を見ることが出来た。まだまだ全然、だった。海を一望できる部屋は波の音が絶えず気持ちいい。貸切風呂も使いやすく、スタッフの方達の感じもよく、気持ちよく過ごした。
夕食は海鮮料理…と分かっていたのに、ほぼそれのみとは思っていなかったので、貝とウニが食べられないと言っておかず迷惑を掛けてしまった。その場で頼んでもらうと、私の分の鮑をイカに、ウニをソーセージに変更してくれた。写真にない他のメニューは茶碗蒸し、カジキのピカタ、リンゴのロールケーキ、メロンなど。お腹いっぱい。



「近代製鉄発祥の地」釜石の鉄の歴史館。会社の歴史などの展示(それこそ記念品とか)が面白かった。SL銀河に乗る前に蒸気機関が見られたのもよかった。写真は鉄作りの歴史を紹介する総合演出シアターに設置されている、橋野三番高炉の原寸大模型。展望台からは、釜石港や釜石大観音を見ることも出来た。



宮沢賢治が設立した羅須地人協会にて。当時は北上川近くにあったというこの家、すてきだった。有名なこの黒板の伝言は、タクシーの運転手さんによると、薄くなったら(賢治が勤めた花巻農学校の後身である)花巻農業高等学校の生徒が書き直しているんだそう。

最近見たもの


7月に見たけど感想残してないもの。ツイートのまとめ。


思い出のマーニー
美術教師の異様な「でかさ」が心に残る冒頭は主人公の「複雑さ」を感じて面白く、(私はアニメが苦手なので)ああこれが実写ならもっと楽しいだろうになあ、と思いながら見てたんだけど、途中から、アニメの方がいい理由もあるなと思った。かなりの「裸足」映画だから、実写なら足を怪我しないか気になって楽しめないだろうから。怪我の問題が無くても、あんなに「裸足」だなんて実写なら不自然だ。
それにしても、「大きくなったら美人になるぞ」なんて嫌らしいセリフ、久々に聞いた(笑)今は小さくても「美人」だしね。原作は読んでないけど、「異端」である自分に悩む少女が「美しい」というの(しかも「外国の血が混じった」…という設定は映画独自のものなんだよね)、古!と思う。ともあれ私には馴染めない映画だった。


▼怪しい彼女
楽しく見たけど、私は「若者」が若者、「老人」が老人として描かれてる方がいいなと思った。「見た目は若者、中身は老人」ということの何が面白いのか分からない。そうなってしまった当人の心と体の揺れ、になら興味があるけど、この映画はそれを外から見た楽しさばかりを描いているように思われたから。
好きなのは「死」が描かれてるところ。パクさんは、色目を使ってくる婆さんに対して高齢者「同士」の感覚を持っていた。それがあっての、主人公に対しての「老人に戻ってもいいのか!」なのだ。あのくだりがなければ、見ようによっては「若い」方がいいに決まってる、というだけの薄っぺらい場面に感じられてしまう。
大好きな「拝啓、愛しています」でも確か男が女に髪留めというか「ピン留め」を贈っていたので、映画を見る限り、韓国の人はピン留めが好きなんだなと思う。


マダム・イン・ニューヨーク
フレンチとイタリアンは同じでしょ?と言う主人公に、仏人男性が通りすがりのイタリアンレストランのにんにくを指して説明する。そういうことが難なく出来る、つまり色んなものがある街っていうのがある。例えばだから、ニューヨーク。東京もかな。
色んな国の人や言葉が出てきて楽しかったけど、振り返ると、ニューヨークに旅立つまでの方が面白かった(長い映画だからそこまででも結構ある・笑)この映画の場合、「世界」が「大きく」なるほど、人々をステレオタイプで処理している感じがした。とはいえ、物語上必要だというのは分かるんだけど、「本当は愛してるけど(言動に表していない)」というパートナーと一緒にいる主人公(本作のように殆どの場合は女性)を見るのはもううんざり。現実なら色々事情もあるだろうけど。
主人公の「あなたはなぜこんな古風な私と結婚したの?」という問いかけに、「古風な女」に惚れるのは妙と捉えるのが「一般的」なのか?と疑問を抱いていたら、後に、夫と「現代的」な女性がハグするのにショックを受ける場面があった。現在のインドは「マダムと女房」的な感じなんだろうか?