週末の記録



実家へ帰省。最近の東京は連日の猛暑、名古屋はいつものことながらニュースじゃ更に気温が高いと聞いていたけど、台風の影響もあり雨天で涼しく拍子抜け。近所で買い物したり、夕食後に花火をしたりして過ごす。
写真の右は、名鉄に乗り換える際に名鉄百貨店の地下に入ってる洋菓子店ティフィンで見つけた、名鉄電車ラベルのりんごゼリー。これは買っちゃうよね(笑)


東海道新幹線開業50周年を記念してジェイアール名古屋高島屋にて開催中の「夢の超特急展」へ。硬券に印字の雰囲気のある入場券が素敵。
「弾丸列車計画」に始まる開発の歴史からして面白い。走行試験に小田急ロマンスカーが一役買ってたことも知らなかった。メインの大型ジオラマは、東京〜名古屋〜大阪それぞれのランドマークに囲まれた中を様々な新幹線が走る。子ども向けの玩具や書籍の数々、切符や時刻表、記念缶ビールや記念タバコのパッケージなんて展示が楽しい。小さな写真じゃ見づらいけど、最上段左側二つのPeaceの可愛いこと。


新幹線乗り場に近いエスカに近年オープンしたらしい「海老どて食堂」でお昼。看板メニューの「海老どて」と、「特大海老ふりゃ〜」を注文。
前者は煮立てたどて味噌ソースに溶き卵を割り入れ海老フライを付けて食べるもの、後者は自家製タルタルソースに長さ35センチの海老フライを付けて食べるもの。前者はどてに卵というのが新鮮だし、後者はゆで卵をつぶして自分でソースを作るところから始まるのが楽しい。食べる際にはナイフじゃなく海老フライ用のハサミを使うんだけど、よく切れて気持ちいい。お店の人に、箸袋に付いている目盛りで長さが分かりますと言われたので、同居人が私のを計ってくれてるのが写真。


「夢の超特急展」のショップで買った「新幹線懐かしのビーフカレー」と(ショップでは他にドクターイエロー柄のボクサーパンツを購入、とても可愛い!笑)、地下の食料品売り場で扱っている限定品、鈴廣の新幹線蒲鉾。下は3000円以上買い物するともらえる新幹線のメモ帳。
当の新幹線内では、やはり東海道新幹線50周年記念のチップスター「海の精焼き塩味」と「伊勢えび味」、それからキヨスクで時刻表クッキーを購入。時刻表はパッケージも可愛ければ中のクッキーもちゃんと新幹線の形。


新宿に戻り、丁度時間が合ったので、ミラノ1にて「トランスフォーマー/ロストエイジ」2D字幕版。前日ほとんど寝ておらず、睡眠時間より長い映画を見ることになり、少しきつかった(笑)家が爆発したところからずっと楽しく見てたけど、舞台が中国に移ったあたりからうとうとし通し。アトラクションと思えば悪くないけど、映画館ならやっぱり私はもうちょっと、違うものが見たい。贔屓のシャイアの不在も辛かった。

めぐり逢わせのお弁当



「妻は横に寝て埋葬されたが、業者に縦に埋葬し直さないかと言われた」なんてジョーク?がイルファーン・カーン演じるサージャンの口から、いやペンから出るほど人が溢れるインドの大都市ムンバイ。オープニングの何本もの線路を走る列車達が、作中幾度も出てくる「間違った列車でも正しい目的地に着くことはある」という言葉、更には物語のラストを示唆している。
そして鍵となるダッバーワーラー(家庭と職場とを弁当箱を持って行き来する配達人)の仕事の描写。この題材だけのドキュメンタリーが見たいと思うほど面白い。あの弁当箱袋?は手作りのもの、市販のもの、どちらが多いのか。サージャンの職場では女性もお弁当を受け取っていたけど、まだまだ女性の「社会進出」が進んでいない様子からして誰が作ったのだろう、本人か、サージャンが利用していたようなサービスか…などと考えていると、サージャンの後任である男性社員のシャイク(ナワーズッディーン・シッディーキー)がパートナーと自分のために料理をする話が出てきて、そっか、そういうこともあるよなあ、なんて思う。


場面替わって「目隠し鬼」状態の女の子の姿。何かと思えばイラ(ニムラト・カウル)が娘に制服のネクタイを「かぶせて」いるのだった。娘の髪の白いリボンは「縦結び」…というのは日本にしか無い言葉でインドでは気にならないのだろうか、不器用なのだろうか、朝の忙しさのせいだろうか、あるいは何かに心を囚われているのだろうか。
イラのサージャンへの手紙の内容が面白い。一通目に「夫のために作ったものですが、夫が全部食べてくれたと思い良い気持ちになれました、そのお礼です」…私ならそんなことは書かない。彼がタバコを吸うと知ると「一本吸うと寿命が五分縮みます、気を付けて」…彼が健康で長生きしたいだなんて、誰が知る?後にサージャンが「あなたは夢見る年頃なのです」と書く時、ああそうか、だから私には新鮮で楽しいのだと気付く。冒頭の娘の身支度シーンも、もしかしたらそのせいかもしれない。
ともあれ、イラの若さゆえの真っ直ぐさがサージャンの心を打ったのか、その手紙の日、彼はタバコを口にしない。しかし「待ち合わせ」をした日の朝、洗面所で自分が「晩年にある」ことを知る。そして自分を継ぐシャイクの門出を祝った後、タクシーの中で一人タバコをくわえる。このさり気ない描写には痺れた。


緻密で美しい作りで、ちょっとした面白い描写も多々ある。帰るなり自室に直行し背中で喋る夫に失望し、部屋から洗濯物をぽつぽつ取りながら「退場」するイラの姿。「おじさん座りますか?」と声を掛けられた通勤列車の走る音が、職場に着いてもがんがん鳴り続けるサージャンの心。
サージャンがお弁当を食べる場面も楽しい。始めはカメラもよそよそしく一定の距離を保っているのが、次第に彼に寄っていき、そのうち彼目線で手元やお弁当の中味をはっきりと映す。帰り道のサージャンと台所のイラがハエ?を手で払うのと、職場のファンと台所のファンとが重なった時、二人の交流が始まる。やがて残す一枚のチャパティは、下に忍ばせた言葉の重し。お弁当を食べる部屋の全景が初めて映る場面には心が軽くなった。
ただ時折挟み込まれる「ユーモア」の一部分は私には合わず。満席の場内は笑っているのに自分が笑えない幾つかの場面に、「映画」の方はどういうつもりなんだろうと思っていたら、話が進むと確かにそれが「ユーモア」だったらしいと分かる。少々戸惑わされた。


見ながら「Her」を思い出したのは、本作がそれと同じく思考の「豊かな土壌」になり得る映画だからというのに加え、イラが台所の窓越しに会話をする「おばさん」が、ふと人工知能のように感じられたから。だって「この曲持ってる?」と言うと流してくれるんだもの(笑)もっとも料理の匂いからアドバイスに加えて足りないスパイスを下ろしてもらうだけじゃなく、イラの方も彼女の用を足している、どちらも生きてる、助け合いの関係なんだけども。
しかし考えたら、イラがいつ声を掛けてもおばさんが居るのはとある「理由」ゆえであり(もしかしたら「理由」が無くても一般的な「女」はそうなのかもしれないけど)、逆におばさんがイラに声を掛けるも不在で、後にどこへ行ってたの?と問われることもある。作中最後のやりとりにおけるおばさんの話は、夫の命の象徴であるファンを停めずに掃除が出来たという「笑い話」だ。しかしイラは笑わない。その訳は何だろう?それを考えるために、もう一度見てみたくなる。