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ヤマモトの日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2017-09-17

まあよく話し合って少しずつ進めていくのがいいと思います

共働きなのに妻ばかり家事育児をしていてあまりにも大変で疲れと不満が蓄積していたので、分担の不均衡を図にして夫に説明し、理解改善を得た、という記事たまたま読みました。

ワンオペ育児で役立つ 家事育児分担図 | ママスタセレクト

基本的家事育児はなるべく平等に、少なくとも双方の納得の上で分担して行うのがいいと思いますし、図解は分かりやすくていいと思います。改善事例を共有してくれてありがとう

それにしても、最初問題提起の言い方が「無理なんだけど。」だったり「旦那ギャフンと言わせたい」とか(本心じゃないけど面白おかしくするつもりで書いた演出なのかなあ...)とか、どうも、初めからうまくいってないともう不満、察してくれないと心に不満の積み上げ、黙っててやがて爆発、という持ってき方は、苦手だな…。と思いました。

コミュニケーションスタイルは人それぞれなので、一般論はないのです。めんどくさいのも人間らしくていいですけどね。まあ、当事者同士でよく話し合って少しずつ進めていくのがいいと思います。あったりまえのコメントですが、そもそも「よく話し合って」が簡単じゃないケースが多いので、簡単にあたりまえとも言えないな、と思っています。

2017-09-14

夏は去り秋の気配

ここにきて仕事が急に忙しくなり、ちょっとぎりぎりな感じで日々を過ごしています。あまり余裕がないのですが、メモだけ。

  • やりにくい人、受け入れがたい人、厳しい人、そういう人は、柔軟さがないということであり、それは弱さの裏返し。
  • 見下すことで認めることができるなら、見下してもいいかもしれない。
  • 非合理な考えや行動に陥らなければよし。
  • "Kill him."的な。

2017-08-19

昨日は大雨で電車が止まって難儀しました

技術思想は「正しさ」ではなくて

技術思想理論に裏打ちされていて、論理的いか強靭かということを提唱者や賛同し普及に務める人は考えます。それを第三者に伝えることも、悪くはないでしょう。論理的にしっかりしているのだから安心して信用、採用同意してもらっていいですよ、というアプローチですね。

でも、おうおうにしてそれは通じない。結局正しさで選んでいるわけではないのです。例えば、ある新しいものを取り入れ乗り換えるとき、それまで自分が行ってきた説明形成してきた同意を翻すことになったとして、その翻意を自分エリアで共有可能かどうかが重要です。

大切なことは、自分帰属する集団において、自分立ち位置合意圏に含まれていることなのです。変化は、ぼんやりと共有されている合意群をゆさぶります。その結果を予測することがまったくできないわけではないし、予測して行動する(時はする)のですが、その結果は必ずしも簡単原理原則予測制御できるとはいえず、にもかかわらず結果は極めて重要です。結果自分の足の位置同意の輪から外れることはつまり失敗です。あるいは、誰か自分にとって大事な他の人や組織安心をおびやかしてしまったら、これはとてもまずい。

まだうまく言えませんが、日本的組織運営日本的合意形成みたいなことを、上記のようなイメージで捉えています。

で、最初の話に戻りますが、正しさはあくまで一属性に過ぎず、それ自体評価対象ではないのです。だから論理的(あるいは技術的)正しさをいくら説いても(しかもなぜ分からない?といった上から口調で説いても)、ほとんど意味がないばかりか、反感を買う(聞き手のこれまでの主張や行動や立ち位置をおびやかすから可能性が高い。聞き手の行動としては、とりあえず否定しておいて、一応話は聞いておいて、あとで自分の今後の戦略の中で使えるかどうかを判断して、使えるなら使うかもしれない、ということはあるかもしれません。

まずは話そう、話せば分かる、といいます。話し合うことで合意形成ができないわけではない。しかし、日本的コミュニケーション組織形成では、ノンバーバルな要素が強いし、論理性よりも、物語性の方が重要に感じます。発言は、相手のこれまで(の立ち位置主義主張など)を十分に慮ったものでなければなりません。生煮えの(影響の一面しか見れていない)意見危険なので、十分に隔離された環境で、あくまでも私的に持ち出す必要があります。

というようなことを、以下のWeb記事を読んでいて思いました。内容的には上記の論と直接関係ありません。

2017-08-14

暑い日が続いていますが、みなさんいかがお過ごしですか?

帰省から帰って来て溜まっていた新聞の一面見たらこ記事

ページが見つかりませんでした:中日新聞(CHUNICHI Web)

仕入れ先と打ち合わせ 30分×月4回」「メール確認 2分×1日25〜40通」「来客者へのお茶当番 30分×月5回」…。

(中略)

トヨタ系で使う原単位そもそも意味は、部品一個の生産に要する材料費人件費のこと。カイゼンの基本として、生産現場では、この原単位を下げることに心血を注ぐ。豊田鉄工は、仕事の負荷が見えにくい事務部門にも応用した。

http://www.chunichi.co.jp/article/front/list/CK2017081302000070.html

「原単位」という言葉Webで調べても、あまりはっきりしません。ですが、ある製品(ないし部品)を1単位作るのに必要部品の個数を「原単位」と呼ぶという話があります。上記記事とあわせて理解を試みると、あるアクティビティに必要リソース量のこと、と考えればよいでしょうか。

トヨタ式では、同時に処理する量を大きくしてそれ自体バッファになってばらつきや不良を吸収してしまうことを嫌います。理想は一個流しで、そこにはバッファはまったく存在せず、ばらつきや不良は発生するなり検出される(ので対策される・できる、それによってムダは削減され、プロセスは強化される)というわけです。

そう理解した上で上記記事を読むと、原単位が大きすぎると感じます。「仕入先と打ち合わせ」は最小と言えるのでしょうか?

100回やったら100回同じ手順になるものであれば、ばらつきはあるべきではなく、同じ時間でできてしかるべき、という発想もわかります。しかし、そうでないものは、そうではない。生産パラダイムにはないことなので、どう考えるかをきちんと決める必要があるでしょう。

もう一度「仕入先と打ち合わせ」を例に取りますが、「仕入先の来訪連絡を受付経由で受け取る」、「仕入先を会議室に案内する」、「打ち合わせで使用する機材を用意する」、といったことは、定型的なので、原単位を設定して管理するのに合うように思いますね。

対して、仕入から製品に関する新たな提案や、問題相談を受ける、といった場合(報告のフォーマットA3一枚、と決めるなど、報告そのもの一定時間で行われてしかるべきもの、とみなせるかもしれません。内容の吟味質疑応答や意見交換なども含めるとすると)、これは不定形アクティビティなので、基準時間が設定できるたぐいのものではないと思います。

というわけで、最初引用した記事に対して感じた違和感は、以下のふたつです。

このような疑問は、過去生産パラダイム生産以外の分野に適用する際のFAQだと思います。冒頭の記事の会社ではすでに整理されて決着済のことかもしれません。だとして、事務業務へのトヨタ式適用の重点だと思いますので、記者コメンテーター学者にはぜひ言及が欲しかったです。

2017-08-05

夏休みになったのでうれしいあまり、なにか忘れてんじゃないか不安になっています

最近〇〇だったりするけどさ」という型でのものの考え方

世間とか、社会とか、ある世代の人たちの行動様式だったり、マスコミ報道だったり、流行だったり、そういったものに対して、自分の感じていることを述べるときの考え方のことです。

もともと対象あいまいなので、どういう認識根拠でそう判断しているのか、説明と共有が必要な場では、いきなり結論から話すとめんどくさいことになりがちです。

昔は世間その他を知る方法も限られていたし、その感想を話す相手も限られていたので、結果はシンプルだったのかな、と思います。対して現代では、世間を知る方法としてさまざまなパス特に大きいのはネットですね、ネットの中でもいろいろある、が出てきて、世の中のことがよくわかるようになったと言えますが、見える断片、ある角度からみただけの情報、が多くなりました。しかもどういう情報をどのように仕入れるかもパーソナライズされています。なので、それについて会話したりするときに、コンテキストが合っていることが相対的に望みにくくなってきた、と感じます

恋人夫婦だって普段使っている情報源が違って、世界に対して持っている印象や理解が、まったく異なる(ので、それを題材に話すことが結構難しい)なんてことある気がします

ましてや、Twitter上なんかで話すと、コンテキストを共有しているお仲間から共感が得られる反面、まったくそうは思っていない一言居士さんたちからクソリプ頂けちゃって、大変なことになったりする、なんてあるように思いますね。現代的なできごとだと思います

で、もう、世間に対して感想を持つ、という行為が、対象が公のものであるにもかかわらず、極めて個人的ものしかありえない、ということに対して、自覚的になる必要があるのかなあ、というのが今考えていることです。

昔みたいに簡単に「最近の〇〇って□□だけど△△だよなあ」なんて(よっぽどコンテキストが合っている間柄じゃないと)言えない。ましてや、嘆かわしい、みたいな個人的認知を経た感想あるいは断定は、共有しづらい。

世間に関心を持って、自分立ち位置と考えを持つ、というのは、単純に好ましいことだったと思います。昔は。今もそれはそうですけど、関心の持ち方、世間というものの捉え方にていねいさが必要かな、と思っています

またしても具体性のあまりない話で申し訳ない。

コンテキストを共有している場で、わかるわかると言われたい

人間承認を得たいです。

自分の考えを述べるという行為は、集団帰属意識が強く、暗黙コミュニケーションを好む我々日本人にとっては、私はこの集団を信頼しています安心しているのでこのように考えを述べます、という意味であり、当然ある程度受け入れられることを期待しているような気がします

ところがその当たり前に思っていた気持ち裏切られると、著しく混乱する気がします。傷ついたり、極端な反応を取ってしまったり

クソリプが来て鍵垢化、みたいなね。

この考え方、この表現の仕方でいいですか、と先輩や偉い人のレビューを受ける機会もあるでしょう。レビュワーの人はダメ出しするのが仕事ですからダメを出す。昔のしくみだと、別にフォローするのが仕事の人(レビュイーの上司とか血縁者とか)がいて、その人がフォローし、再教育し、承認できるレベルへ導き、みな丸く収まる、というシナリオがありました。

ところが現代はそれが失われつつあるように思います

コンテキスト共有のための努力があまり払われなくなってきているのではないか、という私見

これは先にかいた、最近世間ってこうじゃね、の話なので、慎重に話したいところです。

昔は社会規範シンプルだったし、所属する組織コンテキストは覚えて扱い方を身につけるもの、ということは単純明快だったと思います。(もちろんだからといって簡単だったり必ずだれでもできたわけでもなく、身につけられず組織同化できない人も確実にいて、そういう人はいろいろつらかったり大変だったと思います。)

今は、昔に比べると個人主義が強まったり多様性が許されるようになりました。組織文化を新入りに教える現代的なやり方というものはさっぱり確立されず今に至っているように思います。結果、コンテキストを深く共有することなく、ただ表面的な理解動機だけ持って、同じ組織にいる人が増えた(相対的にね)ような気がします(という仮説です)。

なので、何考えてるかわからん、とストレスを感じるようなこと、コミニュケーション不全によるさまざまな問題やロスが生じているように思います。単に言葉が足らないというだけの話でもなくて、文化を共有していないけれど、文化を共有している前提のコミュニケーションや共同活動しか知らない・できない、という根の深い話なのです。

さらに、これがポイントだと思うのですが、昔はモデルシンプルで、組織に人が加わるときいか文化教育するかも、シンプル方法が決まっていました(それが必ずしもうまくいっていたわけでもないのですが)。今は前提の環境が大きく変わり、ひとりひとりの気持ち認識多様化してきたので、単一モデル方式崩壊危機にあります。さりとてそういう変化に適応した新しいフレームワークパラダイムの構築は進んでいない。だれもそれを主導したり積極的に関わる動機がないんです。そういう状況なので、文化共有のための新しい導入教育プログラムなんてものも作られていいないです。結果として、教育レベル、文化レベルは今低下の方向にあるのではないでしょうか。

よくいろいろ嘆く意見Twitterとかネットニュースなどにありますが、そうでしょうね、って感じです。

アジャイル開発の場合

アジャイル開発は、批判的な意見として、幼稚園っぽくて気持ち悪い、と言われたりします。これはみんなの苦手なコンテキスト共有をあえてしようとしている、しかも、どういう仕方がいいかは本当はケースバイケースなんですけど、とりあえず汎用性が高いだろうということで紹介されているやり方がジェネリックななので、そういう違和感を感じるのでしょう。気持ちは分かります。でも、なんらかしないと効率的顧客価値を得る(ように変える)ことはできないですからね。

痛みはありますよ。と思いますが、痛みがあるけどやろうね、という合意ができていない(なにもしないとそんな合意はない)と、話こじれますね。

シェル正規表現エスケープについてのメモ

# bash特殊文字エスケープ

bashでは、以下の文字特殊意味を持つ

; & ( ) | ^ < > ? * [ ] $ ` ' " \ ! { } 改行 タブ スペース

これらの文字普通文字として記述したい場合には、エスケープする。

エスケープする方法は3通りある

\ 直後の1文字エスケープする

'' 囲まれた文字列文字はすべて普通文字解釈される

"" 囲まれた文字列内の $ ` \ 以外の文字普通文字解釈される。囲まれた文字列内の \ は、 \ の直後に $ ` \ がある場合以外普通文字解釈される。

# 正規表現、基本と拡張エスケープ

基本でグループ化のために使うカッコはエスケープ必要拡張では不要

基本には+ ? |がない。+は{1,}、?は{0.}で代用可。|はどうしようもない。が、GNUだと基本でも\|が使えるとのこと。

基本正規表現採用しているコマンド等:grep sed vim

拡張:egrep awk

特殊文字普通文字として書きたいときエスケープ必要

基本: , [ \ * ^ $

拡張: 基本の6文字に加え ( ) + ? { |

使い分けのヒント

基本:シェルスクリプト向き。シェル特殊文字を使う時にエスケープ必要だけど、エスケープ必要文字種が少ないか

拡張コマンドライン向き。簡単に書けるから

2017-07-11

絵が上手くなりたいのなら

ピアノとかでも同じだと思いますけど、大人になってから始めるなら、意図的練習するのがいいと思います。ただやみくもにやるのではなく、目的を持って取り組む。ビッグジャンプ難易度を上げ過ぎるので、現状に対してひとつかふたつの挑戦ないし工夫だけにする。例えば構図は考えず(模写すればOK)、タッチだけ意識する、とか。あと、しっかりふりかえりをして、フィードバック自分にかけること。音楽だと録音して聞くことになりますが、そうすると演奏時間+聞く時間結構時間がかかり大変ですね。なんかい方法があるでしょうか。絵なら、デジタル画像にして拡縮するとか反転するとかフィルターをかけるとかすると、いろいろな見方ができてふりかえりやすい。

SNS投稿していいねコメントフィードバックとするのは、僕はあまりおすすめしません。確実性がないし、絵そのもの関係ないところで評価されたりするので。

絵がうまくなるために必要なたった一つのこと

2017/07/14追記

実際グーグル先生で「絵 上達法」を検索する人達はそういう結論に達する。

達しないって。決めつけはやめよう。全体的にいいこと言っているけど、論理一方的かつあいまいで、もったいない

学習意図

上に、意図を持った練習有効では、と書きました。それに関してとても参考になる記事があったのでリンクしておきます。

努力しても報われない理由は才能ではなく「意図」がないから - ジブンライフ

意図を持って練習することで効果を高めることができる、という部分は同意です。そうじゃないと思う部分もあります。

といったところでしょうか。なんか、有効だと言ったりそうでもないと言ったりどっちなんだ自分、って感じですね。改めて考えて整理して文章にしたいと思います。

2017-07-09

最近タイトルを付ける力が低下している気がするのです

フィルター

まあ、黙ってそう思っていればいいだけのことなんですけど、わざわざ投稿してしまうあたりがまだ僕もまだまだです。

集団日本人

『日本人は集団主義的』という通説は誤り | 東京大学

調査研究ご苦労様でした。そうでしたかバイアスでしたか。そう言われればそうかもね。

と言いつつ、それでもなお、日本人にとって集団重要意味があると思います日本人がそう思いたがっている、そこが重点だと。アイデンティティをどのように、どこに置くのか。その不全をどのように扱っているのか。そこなんですよ。

http://www.nikkei.com/article/DGXKZO85209440S5A400C1X12000/

これは具体的な指摘。これも含めて日本人集団志向だと思っています

Microsoft牛尾さんや社外取締役さんが、日本人アジャイルに最も向かない、アメリカ的な考え方をインストールする(必要がある)と言っていますが、現場文化をいじることはそんな簡単なことではないと思います。引き続きこのブログで考えていきます

2017-07-07

会えても一年に一度、天気次第で何年も会えない恋人達の間に会話は成り立つのか

最近よく思うことは、会社の人と話していて、ホントに話が通じないということです。

平均すれば通じていることの方が多くて全然通じないというわけではないんですけどね。緊急事態でここ一発で意思疎通したいときとか、明日会議のために今の状況を把握する必要があるとか、半年間の目標を共有するとか、大事なところでちょくちょく、つまり期待値的重み付けするとかなり通じていない。

価値観や語彙やKPI思考様式表現形式を共有してその状態グルーミングしないと、バベルの塔みたいになりますよ。でも実戦しかしないですよね。コミュニケーションのためのコミュニケーションなんて無駄とか言ってさ。照れくさいとかやり方わかんないとかさ。分かって当然とかさ。いやしくも我が社の社員がそんなことができなくてビジネス的損失を生じているなんてありえない、っていうか誰にも言えないとかさ。

もう考え方からなにからてんでばらばらななか、たまたま通じる部分をたぐり寄せながらやっていくしかない。組織パターンとかFearless Changeとか参考にしながら、空気変えていくしかない。銀の弾丸なんてない。結果が出せないことに悲観したら負け。ということは、結果なんて気にしたらやってられない。自分を信じて生きていくだけ。自己評価自己承認だけが頼り。

2017-06-30

名古屋アジャイル勉強会自分を知ることからはじめる、よりよいコミュニケーション

https://nagoyaagile.connpass.com/event/59726/

仕事集団行動だから共通理解立脚しており、それはコミュニケーションによって育まれ維持される、ということから出発して、自分コミュニケーションタイプを知り、その上で自分とは違うコミュニケーションタイプを演じて模擬ディスカッションしてみて、会議客観的に見て取り組む、というワークをしました。実験的なワークに参加してくださったみなさんありがとうございます。いろいろ気づきを得られたと思うので、ぜひ自分なりの取り組みに活かして欲しいです。そしてまた名古屋アジャイル勉強会に参加して、現状やお悩みやアイデアを共有してもらえたらと思います。

2017-06-20

素直になれなくてChicago, 1982)

職場を舐めてる」など認識の甘さを批判する声が殺到した

職場で就業時間中にノンアルコールビール 投稿内容に批判殺到 - ライブドアニュース

自分が強いられている(受け入れざるを得ないと諦めている)価値観と違う人を見つけると批判するとか…。監獄の中のヒエラルキーみたいなもんか。社会的弱者が行ういじめみたいなもんか。痛々しい。こういう考え方を解きほぐしてあげないと、外来マネジメント手法とか思考法とか、受け入れるところに至らないので、この文化圏で生きていくのは少々骨が折れる。ね。