児童書読書日記

2017-03-21

[]『ネコカブリ小学校 校長先生恐竜島のぼうけん』(三田村信行『ネコカブリ小学校 校長先生恐竜島のぼうけん』(三田村信行)を含むブックマーク

ネコの小学校で巻き起こる騒動を描いた「ネコカブリ小学校」シリーズの第8弾。のびのび教育派の校長先生とびしびし教育派の教頭先生が職員会議で論争をしているところに大地震が起こり、教職員たちは約6500万年前の恐竜の時代の火山島にタイムスリップしてしまいます。

刊行は1997年。大地震が起きたり、教職員のなかに「ウグイス幸福教」という宗教の信者がまぎれこんでいたりと、時代を反映した世紀末感のあるモチーフが投入されています。

教育とは未来を指向する営みです。しかし、まもなく隕石の落下によって滅亡してしまう運命のこの時代の恐竜たちには、未来がありません。この状況にどう立ち向かうのか、校長先生たちは教育者としての立ち位置を問われることになります。

草食恐竜のパルクソサウルスと友だちになった校長先生は、職員会議での意見を翻し、恐竜の子どもたちにびしびし教育を施すべきだと主張します。教頭先生のほうは自由にさせるべきだと論陣をはり、あろうことか恐竜たちを従えてパルクソ団という暴走族を結成してしまいます。もっとも極端な行動に出たのは「ウグイス幸福教」の信者であったねこ桜うば子先生です。ねこ桜先生は自らが教祖となり「ネコザクラ教」を開き、信者の恐竜たちに心やすらかに死を迎えるように説きます。

終盤は、肉食恐竜ドロマエオサウルスとの戦争が起こります。ここで、校長先生が暴走したほかの先生たちをうまく利用して危機を脱する展開は、非常に楽しいです。しかし、この目先の危機により、死という絶望を前にした教育という重いテーマはとりあえず棚上げされてしまいます。いや、むしろ、このような答えのでない観念的な問いは、目先のことに専念してみないふりをするのが現実的な対応なのだということなのかもしれません。

2017-03-14

[]『魔女は真昼に夢を織る』(松本祐子) 『魔女は真昼に夢を織る』(松本祐子)を含むブックマーク

魔女は真昼に夢を織る

魔女は真昼に夢を織る

聖学院大学の教授であり児童文学作家でもある松本祐子の本。第1部が創作で、第2部にはファンタジーの評論が載っているという、珍しい構成の本になっています。

第1部に3作収められているファンタジー短編は、塔に閉じ込められた姫君の物語や灰かぶりの物語など、おとぎ話パロディ的な作品となっています。90年代のちょっと古めの作品なので、おとぎ話パロディとしてはやや素直な作品ばかりにみえます。ただ特筆すべきなのは、このうち2編はSF‐マガジンの臨時増刊号として刊行された「小説ハヤカワ ハィ!」の掲載作であるということです。現在新刊で入手可能な本で「小説ハヤカワ ハィ!」掲載作が読めるものは珍しいでしょう。この時代の空気を知るための資料として貴重な本になっています。

評論でおもしろかったのは、魔法の食べ物について考察した「魔女の食卓」です。松本祐子は魔法の食べ物のパターンを以下の3つに整理します。

1.まったくなにもないところから、忽然と食べ物を生み出す。

2.空間移動によって、どこかに存在していた食べ物をその場に持ってくる。

3.目くらましによって、本当は存在していないものを食べているかのように錯覚させる。

そこから、ナルニアの魔女は異世界の食べ物であるターキッシュ・ディライトを知っているはずがないので、エドマンドは幻術でそれを食べたと錯覚させられたのだろう、つまり3のパターンなのであろうとこじつけます。魔女はロンドンに来たことがあるけど、その短い滞在時間でターキッシュ・ディライトを知ることがなかっただろうということまで付け加える細かさが楽しいです。

幻術に長けた魔女といえば、「魔法の国ザンス」シリーズに登場するアイリスですが、彼女についての考察も興味深いです。アイリスがビンクに幻のごちそうをふるまう場面の記述を精査し、おいしい料理の幻をつくるためには幻術の使い手に実際の料理の心得が必要であるという結論を導き出し、「アイリスの魔法の料理は、研究と努力と才能の賜」であるとします。となると、料理以外のアイリスの幻術も「研究と努力と才能の賜」であるはずです。幻術というチート能力の持ち主と思われていたアイリスが実は努力型の天才であったとは。この論考によってアイリス観が変わったことは、大きな収穫でした。

2017-03-07

[]『狐霊の檻』(廣嶋玲子) 『狐霊の檻』(廣嶋玲子)を含むブックマーク

狐霊の檻 (Sunnyside Books)

狐霊の檻 (Sunnyside Books)

みよりのない12歳の少女千代は、阿豪という大富豪に買われます。阿豪が千代を買った目的は、一族の守り神である狐の神霊あぐりこ様の世話をさせるためでした。もとは貧しい百姓であった阿豪の信仰心に感じ入って、あぐりこ様は守り神になりました。しかし阿豪の者はやがて欲に支配されるようになり、呪術的にあぐりこ様を監禁して百年ほど富を蓄えてきました。あぐりこ様も阿豪の者を憎むようになり、毒気を吐いて子どもが生まれにくくなるようにして一族を滅ぼそうとしています。そこに千代がやってきたことから、運命は動きはじめます。

阿豪一族は健康を冒されながらも繁栄を手放すことができず、あぐりこ様を監禁し続けます。もはやなにが目的でなにが手段だったのかも見失ってしまうくらい、阿豪一族は狂っています。その支配と抑圧の仕組みがたいへんおぞましいです。あぐりこ様は千代と仲良くなりますが、あぐりこ様の毒はもっとも近くにいる千代を傷つけてしまうことになるので、毒が吐けなくなり復讐が頓挫してしまいます。ふたりの絆が強くなるほど身動きができなくなる、うまいやり方を考えついたものです。

あぐりこ様は見た目は8歳くらいの童女ですが、実際は150年ほど生きています。それだけあって包容力が高く、ひどい境遇で理不尽な目に遭ってきた千代の哀しみを受け止めて、的確ないたわりの言葉を与えます。

「売られるというのは、つらいことだ。心を踏みつけられることだ。つらかったね、千代」(p47)

はじめはあぐりこ様の人間離れした美しさに魅了されていただけだった千代も、その優しさに触れ、心からあぐりこ様を慕うようになります。

シスターフッドの力で抑圧に立ち向かうフェミニズム児童文学としてこの作品を読むこともできるでしょう。そうしたテーマ性も内包しつつ、非常に高い娯楽性を持っているところが、この作品の魅力です。

ふたりで秘密を共有し、脱出のための準備をする場面の緊張感。そして実現される逃避行の盛り上がり。不吉な布石と残りページ数の少なさから読者は悲劇的な予感ばかり持たされますが、それでもふたりに幸福な結末が待っていることを願わずにはいられなくなります。

2017-02-28

[]『銀のくじゃく』(安房直子『銀のくじゃく』(安房直子)を含むブックマーク

銀のくじゃく (偕成社文庫)

銀のくじゃく (偕成社文庫)

火をおそれないけものは異常です。火は死を導くものなのだから。

「熊の火」は、仲間から見捨てられ山に取り残された小森さんが、たばこの火のあかりとともに現れた熊と出会う場面から始まります。熊は火のなかに敗残者の楽園〈熊の楽園〉があるのだと話し、自分の娘と結婚して楽園でともに暮らすよう小森さんを誘惑します。

たき火の煙の中につかの間の楽園を幻視した熊の親子は、それを永続させるため山の火口に行こうと決断します。もはや火も死もおそれの対象にはなっていません。火口のことを考える前に山を燃やすことも思いつきますが、熊は三日も続くような山火事をはかないものだとして、その思いつきをしりぞけます。火をおそれないけものの異様な思考が、読者をおののかせます。

一時は楽園に行きながらも、小森さんは熊を騙して人間の世界に帰還することに成功します。しかし、熊の娘が山を焼き火の道をつくって小森さんを迎えに来ます。火の道のあとには曼珠沙華の花が咲き、あざやかに赤い爪痕を残します。

火と死のイメージの鮮烈さで退廃の楽園を美的な世界に昇華する安房直子の筆力は、あまりにも邪悪です。

表題作「銀のくじゃく」は、実用品ばかりをつくることに倦んでいたはたおりの男が、くじゃくの化身の老人に見たこともないような豪華な道具や材料(緑の絹糸、日の光より上等の金の糸、月の光よりしなやかな銀の糸)を使って、緑のくじゃくの旗を織るよう依頼される話です。しかし、くじゃくの姫たちがやってきて、どこか遠くに連れて行ってくれる銀のくじゃくを呼び出すために、旗には銀のくじゃくを織るように頼みこみます。

「熊の火」と同じく、異類のものの強い憧れに人間が感化されて道を踏み外してしまうという構図がまた厄介です。はたおりは結局、老人の依頼と姫たちの依頼に引き裂かれ、片面に緑のくじゃく、もう片面に銀のくじゃくが描かれた旗という、人でもなく異類の生き物ですらないものに変容してしまいます。

1975年に筑摩書房から刊行された作品集『銀のくじゃく』が偕成社文庫になりました。この本で、安房直子の危険な世界に魅せられる犠牲者がまた増えることでしょう。新たな犠牲者を歓迎しようではありませんか。

2017-02-21

[]『ジョージと秘密のメリッサ』(アレックス・ジーノ) 『ジョージと秘密のメリッサ』(アレックス・ジーノ)を含むブックマーク

ジョージと秘密のメリッサ

ジョージと秘密のメリッサ

クローゼットに秘密を隠している子どもの物語です。主人公が隠しているのは、女子向けのファッション雑誌。主人公はみんなから男子だと思われていますが、自分も雑誌に出ている女の子のような格好をして、その仲間に加わりたいと願っていました。学校でおこなう『シャーロットのおくりもの』の演劇でシャーロット役を勝ち取ることで自分が女であることを周囲に認めさせようとしますが、さまざまな困難にぶちあたります。

多数派の善意は少数派にとっては暴力でしかないということが、この作品を読むとよくわかります。学校の先生は「あなたは、きっとすてきな男性になれるわ」と、感受性の鋭い主人公を褒めます。母親は子どもがなにか悩みを抱えているらしいことを察して相談にのろうとしますが、「なにがあっても、ママに話してだいじょうぶよ。(中略)あなたはいつまでも、わたしのかわいい息子よ。それは絶対変わらないわ」と、事情を知っている読者からみれば最悪の発言をしてしまいます。

がさつなようで気のいい兄のスコットや、女子の親友のケリーの存在は救いになっていますが、それでもなかなか本質的な問題は理解されません。スコットは主人公が隠しているのは"やらしい雑誌"だと早合点して、母親には秘密にすると約束します。ケリーは悩んでいる主人公の助けになると思ってフェミニズムの話をしてあげますが、これも的外れです。

主人公は自分が女であるということには迷いを持っておらず、医術的な措置を受けたいというはっきりとした希望を持っています。物語の序盤でテレビに出ている女性の「わたしはトランスジェンダーの女性で、わたしの足のあいだになにがあるかは、わたしとわたしの恋人以外の人には関係ない」という発言を出すことで、作品のPC的立場も早い段階で明確にしています。そのため、いかに自分が自分であるということを身近な人たちに認めさせるかというところに、物語の焦点は絞られます。あれもこれもやろうとせず、シンプルに物語の道筋を打ち出したことが、作品の成功の大きな要因になっています。

小説ならではの演出で主人公を祝福したラストシーンは、解放感に満ちていて読者の心を強く揺さぶります。

このようなテーマの優れた児童文学はまだまだ少ないので、小中高の学校図書館にはぜひ入れておいてもらいたいです。

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