『九時の月』(デボラ・エリス)

九時の月

九時の月

1988年のイランが舞台。アメリカの支援を受けたイラクから爆撃機がやってきて、町中では建設用のクレーンで人を吊す公開処刑がおこなわれる、日常と暴力が隣り合わせの世界の物語です。
主人公のファリンは、名門校に通う15歳の少女です。イラン革命前はいい身分だった母親は、いまだに王政復古を目指す秘密クラブごっこに興じていて、ファリンはそんな母親を冷ややかに眺めていました。学校は学校で、刑務所とつながりがあると噂される校長がいたり密告屋の級長がいたりと息苦しい環境でした。家庭にも学校にもなじめず、楽しみは悪霊ハンターが主役の物語を空想することだけの灰色の日々を送っていたファリンに、一筋の光明が訪れます。ファリンは転校生のサディーラと運命の出会いをはたし、初めて心を通い合わせることのできる友を得ます。ふたりの友情が恋に変わるのにそう長い時間はかかりませんでした。
この作品は、最高にロマンティックな恋愛小説です。現在進行形の深刻な社会問題を扱った作品をこのように評するのは、不謹慎とそしられるかもしれません。しかし、この要素を抜きにこの作品の魅力を語ることはできません。
サントゥール(イランの伝統的な弦楽器)を奏でて登場する美しい転校生、気がつくと紙に好きな人の名前を無数に書いてしまうという恥ずかしい行動、ふたりだけの勉強会、毎晩九時に月を眺めて心を共にしようという約束、絡み合う指、秘密の文通、抑圧された環境のなかでふたりの純愛は極限まで輝きます。
それだけに、ふたりを待ち受ける運命の過酷さには言葉を失ってしまいます。恋をしたというだけで不当な抑圧を受けることのない世界が一刻も早く実現することを祈らずにはいられなくなります。

今、悪霊ハンターは降伏の危機にある。服従すべきなのだろうか。強いものに身をかがめることがこの世のならいと。不正を許すことは、生きとし生けるものの闘志を奪うことだとわかっているのに。抵抗すべきすべてのことをわすれ去れば、きっと荷が軽くなるだろう。理想をわすれたほうが、ずっと生きやすくなるにちがいない。

それでも、悪霊ハンターの戦いは続きます。
作者あとがきによると、イランでは1979年以来4000人以上の同性愛者が処刑されているそうです。
作者のデボラ・エリスはカナダの児童文学作家。自身が同性愛者であることを公表しています。