「ミス」一転、虚偽認める 石川容疑者 「小沢氏の指示ではない」

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100116-00000070-san-soci

関係者によると、石川容疑者はこれまで、虚偽記載について、「衆院選出馬の準備で忙しくて記載を忘れていただけ。単なる記載ミス」と主張していたが、最近になって「わざと記載しなかった」と供述したという。その上で「小沢先生の指示ではなかった」とし、「理由は今は言えない」と説明しているという。さらに「池田容疑者に収支報告書の作成を相談され、『正しく書かなくていい』と指示した」とも供述しているという。

身柄を拘束されることは、特に、社会的地位が高い、ホワイトカラーと呼ばれているような人にとってはかなり辛いことで、特捜部が思い切り絵を描いて臨んでくるような事件では、身柄をとられがっくりと打ちひしがれている状況に、たたみかけるように自白を迫ってくるものです。絵が正しければ、正しい自白が引き出されることにつながることもありますが、絵が間違っていれば、取調べが可視化されていない現状では、虚偽自白が生まれ、一旦、虚偽自白が生まれると、関係被疑者に次々と連鎖して、後になって、こういった実態に疎い裁判所から、「相互に補強しあっている」などと評価されるような恐ろしい事態も生じかねません。
現在、進行中のこの事件を見ていると、特捜部の狙いが「小沢」にあることが疑いようもなく明らかになった状況の下で、そういった怖れというものを、過去に自分が経験した事件にも照らし、背筋に冷たいものが走るような思いで危惧せざるを得ないものがあります。

ザ・スーパースター(ゴルゴ13)

事務所近くのコンビニへ行ったところ、リイド社が出している文庫版のゴルゴ13があり、名作が収録されていたので、つい買ってしまって、仕事の合間に読んでいます。その中に、私が、ゴルゴ13の多くの作品の中でも最も好きな、上記の作品があって、久しぶりに読みました。
この作品では、珍しくゴルゴ13の人間的な面が出ていて、自分の臆病さに引け目を感じている少年に対し、自らの臆病さを赤裸々に吐露するなど交流を持った上、事故で瀕死の状態にあるその少年から、さる著名な人物に対する暗殺の企ての阻止を、ごく少額の報酬と少年が大切にしているものを提供する申し出を受けて依頼され・・・というストーリーです。
久々に読んで、やはりこれは名作で、自分としてはこれが最も好きである、ということを再確認しました。

時効直前の強盗致死事件、関与認めた1人も不起訴 茨城

http://www.asahi.com/national/update/0116/TKY201001150516.html
http://www.asahi.com/national/update/0116/TKY201001150516_01.html

釈放後、3人のうち2人を取材し、うち1人が事件にかかわった趣旨の話をした。それによると、男性は15年前、松田さん宅周辺の下見もし、逮捕された2人とは異なる複数の男と一緒に、松田さん方に侵入したという。

発生から数年後、男性は県警から任意で事情を聴かれたが、その際は否認したという。昨年12月に逮捕された直後は「3人ではやっていない」と否認したものの、「関与していない2人に迷惑がかかる」と思い、自供したという。男性は不起訴が決まった後にも取材に応じ、「釈放されても、起訴されると思っていた。被害者には申し訳ない」と話した。

関与を認めた1名の自白に、一定の信用性が認められれば、「氏名不詳者2名と共謀の上」犯行に及んだ、という起訴も考えられなくはない事案という印象を受けますね。高い信用性が認められれば、その自白で共犯とされている者を起訴するのが筋ですが、逮捕、勾留された2名のほうが共犯の嫌疑が高いと認められるような、何らかの証拠があったのでしょうか。
自白はあるものの、いわゆる「半割れ」で、公判維持が困難と水戸地検が判断したのではないかと思いますが、証拠上、ぎりぎり何とか認定されるのではないか、というところ(自白している1名を上記のような訴因で)で起訴しておき、時効を停止させた上で、共犯関係の解明に賭けるという選択肢もあったのではないか、という気がします。釈然としない幕切れですね。

ハドソン川の奇跡から1年 不時着現場で「同窓会」

http://www.asahi.com/international/update/0116/TKY201001160112.html

ニューヨークのハドソン川にUSエアウェイズ機が不時着した事故が15日で1年を迎え、不時着の現場で「同窓会」が開かれた。チェスリー・サレンバーガー機長ら乗員・乗客のほか、救助にあたった人たちも駆けつけ、約200人が「ハドソン川の奇跡」を振り返った。
不時着した午後3時31分ちょうど。当時、救助活動に参加した同じフェリー船に乗った乗客たちは、不時着の現場に着き、寒風が吹く甲板上で「乾杯!」の歓声をあげた。鳥の群がエンジンにぶつかったことが不時着につながったことから、祝杯の酒は、「グレー・ギース」(灰色のガチョウ)という名のウオツカでつくったカクテルだった。

こういう酒を互いに酌み交わす、というのが、いかにもアメリカ的ですね。あれから、もう1年がたったんだな、ということをしみじみと感じます。
生と死は紙一重、ではありますが、こうしてみると、生きているからこそ集まって楽しめ、あの時、機長がパニックに陥るなどして墜落していればそこですべてが終わっていたものであり、生と死の間には越え難い大きな壁がある、生きてこそ、ということを改めて強く感じます。
こういうところで、こうして飲むお酒は、さぞおいしいものでしょうね。