大和但馬屋日記

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文脈の呪ひ

ネットで時々話題になる「掛算の順番」といふものは凡そ血液型性格診斷と性質が似てゐると思ふ。兩者共にその事自體に本質的な意味はまるでないにも關らず、運用者によつて意味ありげに與へられた「文脈」に沿つた解釈が廣く流布して受け容れられてしまつてゐる。
加減乘除の四則演算において交換法則や結合法則が成立するのは特定の条件下に限られる。その条件下にあるものに「順序がある」と見倣すのは數學的には意味がないが、「文脈的」には意味があることとされてしまふ。血液型性格診斷は、ただ單に判り易い遺傳的形質であつたといふだけの理由だけである種の文脈の中で類型化され、社會的影響力を得てしまつてゐる。血液型性格診斷について、現代日本の社會からその意識を拭ひ去るのは殆ど不可能の樣に思へる。西洋化された人類から占星術を取上げて消し去るのと同等に難しいだらう。乘算の順序も既に一部教育者を洗腦し終へて、今後さらにその影響力を増すのだらう。
「九九」を全部唱へられるならばそこに交換法則の原理を見出すのはさほど難しいことではない筈なのだが、そこには敢へて目を瞑るのが「教育」なのだとすれば、子供も舐められたものだ。