災害用伝言ダイヤル「171」

今日は地震が多い。

震度3以上の地震が多かったからか、テレビで地震速報をよく見かけた。
改めて調べてみると、どうも日本では毎日のように地震が起きているらしい。
思うに、物騒な国だ。

災害用伝言ダイヤル171

地震がらみというわけではないが、「171」をご存じだろうか?
171とは、NTTが災害時に通信料が増大し、回線が使えない状態になったとき、半ボイスメールのような形で録音しておき、外部から他者がその音声を聞くことができるサービス。
詳しくはNTTのページで見てもらうとして、なぜ自分はこの番号を知ることになったか、
もしかしたら同じ境遇の人は多いかもしれない。

ぼくらのウォーゲーム!

今は懐かしき、デジモンアドベンチャーの映画「ぼくらのウォーゲーム!」である。
このとき、劇場で観ていた自分は小学生、だっただろう。
災害用伝言ダイヤル171、この災害という緊急事態、非日常に憧れていた自分には、現実の向こう側にある言葉だった。
実際に使うこともなく、ただ映画が終われば日常に戻る…はずだった。
実際に171を使ったことは、ありがたいことにない。
ただ、171というワードとともに、インターネットに妙な憧れを持つようになる。
初めてパソコンに触れたのもこの時期だったように思える。
ネットの向こう側で、さまざまな人と繋がっていると考えるだけでワクワクしたものだ。
そして、その世界は「非日常」であった。

二つの世界のはざまで

デジモンアドベンチャーの中で、唯一主人公が現実側にいる。
パソコンの画面にかじりついて、幾ばくかの操作をするだけ。
ネットでデジモンが起こしたことが、徐々に現実に波及していくのだが、
あの当時、そんなことが本当に起るだろうかと、そう思っていた。
映画の向こう側では、とても現実に似た世界で、
ネット上のトラブルが原因で(この場合はデジモンだが)生活に支障が出る。
デジモンというインターフェースがあるとはいえ、現実的に見える。
そして、今現在の生活で考えてみると、デジモンとブラウン管のPCモニターを除けば、ほぼ現実に起こりえるかもしれない、と思えるところまで来ている。
そんなとき思うのだ、「昔見た、世界の向こう側に来てしまった」と。
現実で起きていることと、ネットで起きていること、穏やかな日常と、その裏側の世界での混沌。
あのときは、太一や光子郎がかっこよく見えた。
その自分が、今ネットでこのようなことを書いている。
いまだに、ネットという世界との距離感をつかめない自分。
あの憧れの世界を越えようとしている、いや、越えたかもしれない。
過去に感動した、ちょっとした未来を越えてしまった自分にとって、
あの世界はいまだに未来で、あの世界を見たことが、今の自分のネット観に影響している。

過去にある未来

映画、アニメでもSFでもいいのだが、そこで描かれている未来という世界がある。
そして、その世界に近くなった未来に自分が今、住んでいるとしよう。
そうなったとき、「過去に未来がある」と言えないだろうか。
過去の作品の中に存在する未来。
そして、その作品に影響を受けた自分がいる現在。
予想や推測をしたわけでもない、描かれたフィクションの中の世界に描かれた未来であったとしても、その影響を受けた自分が未来で何かをする。
予測、推測された未来。
影響を受けた過去。
そのすべてが、今という未来で人々の奥深くで蠢いている。
自分の過去には、どれほどの未来があっただろうか。
今になって気になりだしている。


その後、.hackイノセンスに影響を受けたと思っていた自分だったが、
そのアーキタイプはここにあると、今思えた。