ピカリンさんという能登の復興ボランティア活動をまとめつつ、推進していらっしゃる方にお会いする機会があった。
(つづく)
鉄板が助けを求める人の群れに見えてくる。
焦土。焼野原。
焦土と呼ばれる場所をこの目で見たことがかつてあっただろうか?テレビや映画ではたくさん見てきた。この写真をメールすると、妻から「ガザかと思った」と返事。
ぼくはかつてスクラップヤードを「誰が来てもおかしくない」空間だと感じた。そこにはもちろん混沌があった。他に、混沌があるものとして、例えば祭りがある。祭りも「誰が来てもおかしくない」空間だろう。
さらに混沌には、こういう焦土がある。被災地。戦地。これらには、不幸がまとわりついている。
だが、これらそれぞれを絵に描くとどれも同じようになる。
ならば、このような不幸がまとわりつく世界を、誰が来てもおかしくない世界に変えることはできないだろうか。
熱で溶け落ちたフロントガラス。
遠景。
近景。切り取り方で、伝わり方も変わるはず。
震災後につくられた骨組を通して見る。
しばらく歩き回っていると、過呼吸になっている自分を感じる。自分に圧力が押し寄せてくるように感じる。だが、それも自分がそう感じているだけなのか?
まだ、明確な答えは見えないけれど、目標はできた。あとは試行錯誤を繰り返すだけだ。
能登町で明治元年から続く老舗の酒蔵、松波酒造は今回の地震で倒壊して、酒をつくれない状態になった。ボランティアがかろうじて生き残った酒米を救出。小松市の加越酒造本部が共同醸造の手を差し伸べて、割れなかった3700本の瓶とともに小松市へ運ばれた。
GFスタッフは、4月9~11日の3日間、瓶のラベル貼りのボランティアに参加。ここで松波酒造の若女将、金七聖子さんにSOTOCHIKUの話をしたところ、ご理解をいただき、18日(木)の新酒即売会の日に壊れたモノを寄付してくださることになった。
そこで、代表田中も17日(水)から現地入りして、ご挨拶とSOTOCHIKU素材採取に。
建物はかろうじて立っている状態で、どれか一つでもずれると全体が崩れそうな様子。
このような状況の中、ぼくらは以下のようなモノを寄付していただいた。
1.中身を無事に取り出すことができた新酒のタンクを支えた木片
お酒の匂いがたっぷり浸み込んでいる
2.タンクへ上って作業するための梯子階段
3.100年以上前に焼かれた瓦
4.黄色が印象的な土壁の土
聖子さんのこのはじけるような笑顔!この笑顔に周りの皆さんが勇気をもらえているのだろう。
自分はこちら側にいて、あちら側のモノをつくるような仕事はしたくない
ジタバタすることもなく、これがプロの仕事です、と涼しい顔をしてすでに答えの見えている仕事をするよりも、いつも自分にできるだろうか、という不安と期待の中で仕事をしたい
自分がいるここで、自分の抱える病理に向き合うように、壊したりつくったり、ジタバタしながら仕事をしたい
終わったときには自分の中で何かが変わるかもしれない
そのような仕事でなければ、周りも何も変わらない
できないかもしれないことに挑む
これを繰り返しながら生きていく
陽向に「一緒にそれをやっていこう」と話す
陽向が微笑む
能登へ壊れたモノをもらい受けに行けることになりました。
まず、正直にお伝えしなければならないのは、ぼくたちは残念ながら、被災した方々が日常を取り戻すためのお力にはほとんどなれない、ということです。
ぼくたちは総勢9人の小さな会社であり、空間づくりの規模も件数も決して大きなものではないので、たくさんの物量を扱うことができません。だから、壊れたモノを片付けることができるわけでもありません。壊れたモノをほんの少量採取させていただき、その結果の寄付控除の金額も数万円程度に過ぎない場合が多いです。
でも、その代わりに、寄付していただく一つ一つのモノに対して大切に向き合って、どこかの町でそれぞれの能登の記憶が受け継がれていくように、できる限り質の高い空間をつくろうと努力します。ぼくたちは、モノや人に一対一で向き合って空間をつくると同時に、未来へ素材の物語を伝えることに重きをおいて活動しています。
寄付してくださった方には、モノたちがどのような場所でどのように使われることになったかを丁寧にお伝えしたいと思います。それによって、被災者の方々のこれからの人生をほんの少しでも豊かにできるかもしれない、という思いがあります。
このブログに書く言葉も、誰かに向き合って伝える言葉も、相手に伝えたいと同時に、自分に言い聞かせている言葉だ。
繰り返し繰り返し、自分に言い聞かせる。
いつか、その言葉が自分に浸み込んで、言葉通りの人になれますように。
おまじないにも似ている。
ぼくは言葉通りの人にはまだまだなれていない。
なりたいと思っている者に過ぎない。
鋸南町のSOTOCHIKU&89(通称:パクチー銀行)で出会った方々が表参道のSOTOCHIKUショールーム訪れてくださった。
このようなお仕事に関わられたそうだ。
この「もののけ祭り」の世界は、ぼくが実現したい世界に近い。
自分がそこにいるという実在感と、外側から自分を見つめる冷静さを行ったり来たりできることが、自分という存在の理想的な在り方ではないか?
ぼくはそのような空間に20代の頃、アメリカ・バッファローのスクラップヤードで模型の素材を探しているときに遭遇した。
だれもがそう感じるはずはない。ぼくがそこで素材を探していたことが主要な条件のひとつとしてあるだろう。
しかし、浮浪者から貴婦人まで誰が入ってきても不自然ではない空間、とぼくが感じた感覚は今も新鮮によみがえる。
「もののけ祭り」の映像世界の感覚は、ぼくにスクラップヤードを思い起こさせる。
これがぼくがつくりたい空間と密接に関係することは間違いないだろう。
「スーパーマーケットのような」というお題をいただいた空間について、考えている。
水平方向縦横に広いシンプルな空間。柱の大きなサイン。向こう側を感じさせる什器の透明性。
さわやかで、瑞々しい気持ちでいられれば最高だ。