らーめん

僕は、あぶらっこいものがおいしいとは思わない方なので、近頃のラーメンは敬遠している。が。


一度も信号を渡らずに行ける、一風堂に、このまえ初めて行ってみたら、昆布のだしがきいて、よさげなスープだった。


一回信号を渡って行ける光麺は、店内で映画の予告編を流しまくっていてびっくりした。


一度も信号を渡らずに行ける、太楼のラーメンは、ご飯によく合う味であった。


噂に聞いていた、Salut というフランス料理やさんを発見。一度も信号を渡らずに行ける。


高そうだと思って敬遠しまくっていた筑紫楼(中華・一度も信号を渡らずに行ける)のランチは、実は無理なほど高くはないことが判明。



とつぜん話が変わるが、僕の部屋には「見義而不為無勇也」義を見て為さざるは勇無きなり と書いて貼ってある。でも、全然できない。

言語モデル論ノート

瞑想に適した講義。

  • 統語論的非文がプログラミング言語のsyntax errorに対応しているのは当然として、意味論的非文に対応しているのは型エラーとかに対応していて、語用論的非文に対応しているのは実行時エラーであるということに思い至った。たとえば、講義で出てきた語用論的非文「花子が太郎が一郎が地球は小さいと思っていないと思っていると思っていない」というのは、スタックオーバーフローを起こす例と考えられる。
  • 表示的意味論の意味関数というのは、論理学で出てきた解釈とか付値とかが合わさったものに似ている。
  • 操作的意味論というのは、中途半端なぬえのようなやつである。
  • 公理的意味論というのは、すべてを副作用とみなす考え方のようにみえる。表示的意味論というのは、副作用が存在しない世界を考えている。
  • Petri-nets ってなに?
  • プログラム同士が同一の動作をするかどうか判定することはできないように思われる。プログラム同士の距離と、意味空間上での距離が、対応するとかなんとか言っていたのは、意味関数が連続写像になるかどうかという話なんだろうか。