亀井絵里写真集「17才」

亀井絵里写真集「17才」

 


 
亀子に騙されて死ぬということは
よくあるモデルケースなのでつまらないかもしれない。
 




 

 



 




 






 
ホリケンを思い出したのだが
東京っ子?のいなせ、洒脱が
亀子にもあると思う。これはコンプレックスだ。
 


 
寝起きのシーンはハロモニでの
名シーンを思い出させてくれた。
 







 
映像の等質的な連続性。
それは無理やり平べったくさせられたものだ。
一元的な不可逆の時間軸に沿わされることと、
等質的に連続させられることの二重で、
いびつさやでこぼこは完全に切り落とされる。
そしてそういう映像の先行が、我々の記憶やら観念やらを
連続的にさせるとしたら。記憶の訓育。
A/D・D/Aのアナロジー。意味付与以前の映像自体は
限りなくアナログに近づこうとする。写真は同じ意味でデジタルに向かう。
どちらにも取りこぼされるものへの郷愁は正当だ。
「ない」は「ない」というかたちで「ある」(そのことのおぞましさ)。
  









 
亀井絵里の肉体は、その質量は
女の子批判だ。
 







 

 
亀井絵里全写真」集が神様によって発刊された場合
我々はあるいは当の亀井絵里を質に入れてでも
購入するだろう。
 




 

 

(若年の貴関風に!)
んと゛ね゛〜〜
あの゛ね゛〜〜
好きになったらね〜
おしまいなんだ!
 

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「好き」もしくはその種のどうしようもない暴力感情については
村上春樹の「国境の南、太陽の西」「スプートニクの恋人」等
に書かれてあったと思うが、定かではない。
 

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何かを好きということが
自分のものであるという見方はある錯覚の下にあるのではないか。
極端に言うと、おしなべて好悪の感情は他者ではないか。
 

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「このドキドキは何故とまらない」と唄うあややがヒント。
 

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未知との遭遇」をチラチラ観た。
コンタクトのメロディが美しい。
 
レ・ミ(全音上)・ド(2全音下)・ド(オクターブ下)・ソ(完全5度上)
である。
インドの行者たち?が大勢で合唱していた。
(読経・ガムラン・ドローン)
または
ソルレソル - Wikipedia
 

極悪な寒さだが
こんな朝だからこそ
想像をたくましく!
寒いのに何かいつもより
ウキウキしてるのの!とかあるいは
暖房器具の前
夢の続きをうろうろするなっちとか