月見の晩に

この前、中秋の名月だった。
打ち合せが予想外に早く済んだので、お仲間が出向いてる後楽園に超特急で駆けつけた。
この夜の月は十五夜ではなく十三夜ってな感じで、まだ綺麗な円になりきってはいなかったけれど、前日までの暑さもなく、秋の涼やかな気配に園は満ちていて、芝にすわって天を仰ぐとまことに気持ちがよかった。
この国は四季のメリハリがキチリとあって他国にはない良好な環境だと、常々に云われ続けてきたけれど、気持ちがエエな〜って日は、ほとんどないのが実情でしょう。ホンマは四季を通じて数えるしか良好はないでしょ。
その数少ない気持ちのいい日が、中秋の名月の日だった。
それにしても、後楽園内のどえらい人の数に少なからず驚いたよ。
こんなに皆さん、お月さんを愛でてらっしゃるんだ、と嬉しくなった。
我がお仲間達も円座を組んでいる。
でも、アンガイとね、こういった場にあっても…  たとえば、いま飛んでるセレーネ(かぐや)を持ち出しても反応はかんばしくない。
「人が乗ってんのか?」
と聞かれるに至り、夢中でセレーネをここで語っても仕方ね〜〜や、と諦める。
お友達持参の出来のよい盃に、これまたお友達持参の広島の「雨後の月」を注ぎいれ、酒に月が映り込むよう、盃を持った手、首、眼、をうまく配置して、そのままユックリ、それをのむ。
「月を飲むのだよ」
と、やらかすと、こういうのには皆さんノッてくる。男も女もノッてくる。いちように皆さん、月をのむ。
酒の水面に浮く小さな揺れる光点を懸命に口にもっていく。
誰かが誰かの膨らんだ腹をば指さし、
「ありゃ、月が入ったなぁ」
てなアンバイで、後楽園の閉園(お月見なので夜九時半まで開いてる)まで、ケケケケ、イヒイヒ、笑いがたえぬ宴となる。
この楽しい宴とはまた別に、芝生に寝転がって月を眺めると、稲垣足穂の見事な造語「天体嗜好症」が明滅する。
そうなのだ… 俺って、天体が好きなんだとあらためて新鮮に思ったりもする。
そこで後日、写真をば探してみる。
月ではなく、金星の写真。
今を去る32年前、ソビエトの探査機「ヴェネラ9号」が金星に軟着陸してパノラマ写真を撮っている。
アポロの有人月飛行の華やぎにすっかり隠れ、ほとんど知られちゃいないけど、当時のソビエトは幾度も金星にトライしてた。
ヴェネラ1号からヴェネラ16号まで、実に16回も金星にトライしてた。
失敗につぐ失敗を重ねた末、1975年のヴェネラ9号がはじめて金星の地表を撮影して電送してきた。併せて基礎となる金星のデータも届けてくれた。
ものすごい気圧。ものすごい温度。ものすごい風。
ヴェネラ9号はおよそ1時間ばかし踏ん張って、息絶えた。
送信データによると気圧は地球の92倍というから、水深920mの圧に相当する。手ひどい温室効果で地表はだいたい470度。たえず狂妄な風が星全体にふいていて、ヴェネラの観測データによれば風速50mであった… てなワケで送り込まれた探索機は全て数時間の内に壊れてしまう。おそらくはその気圧でもって、あるいは500度に近い熱によって破壊されてしまうんだろう、ネ。
写真もわずか数点しかないのはそれゆえだ。
近年になってデジタルでの画像解析と映像処理が飛躍的に進み、この古い金星の地表写真が見事に蘇った。
その写真を探したんだ。
32年も前に、米国の火星探査のそれを思わせるような構図でもって金星の地表が映されているコトに鮮烈をおぼえる。
16回ものチャレンジにかかった経費を持ち出してすごく価値があるというのではなく、眼で金星の地表を見られる事に驚いちゃう。
ヴェネラ13号では、これも数枚撮って音信不通となったけれど、カラーのパノラマ写真を電送してきている。ちなみに、このヴェネラ13号の軟着陸場所は米国のNASAがアドバイスしての事だ。
日常のボクやアナタの生活において、金星の地表なんぞはまったくもって関係のないコトなれども、そうやって遠い天体の地表を眼に出来るというのは、とてつもなく凄いコトだと思う。
どってコトはない、一見はただの裏山のグランドの跡地みたいな荒涼なれども、そこが金星だという事実に慄然とする。
太陽を廻る惑星は金星をのぞいて全て、陽は東から昇る。
金星だけが別。ここでは陽は西に出て東に沈む。
自転が逆なのだそうだ。なんで金星だけ自転が逆なのかは判っていない。
濃ゆ〜い二酸化炭素の大気で覆われ、その上層部では、これが自転速度の40倍という猛速な風として常時吹き荒れているから、この星に近寄って望遠鏡で眺めても、なにやらモワ〜ンとした印象でしか捉えられない。地表から45〜70km界隈には濃硫酸の厚い雲に覆われてもいる。
人が立って快適な星じゃない。快適じゃないけど、お隣さんの星だ。
厚くて粘っこい雲のために金星は温室効果のさいたるものと化し、より太陽に近い水星よりも地表温が高い。
そのナマの姿を、いまから35年も前にソビエトは写真に撮った。
裸のヴィーナス、だ。
それを、写真とはいえ、月見がごとくに愉しめる… 「天体嗜好症」的気分で申せば、この一枚のヴィーナス像の前では、そこいらのアートは退色して失せるとボクは思う。
ガサガサに荒涼とした、お手入れされていない肌ながら、永劫に触れられない肌であろうと思うと、香気が漂い艶がでるじゃんか。