MSI のノートパソコン購入とか

これまで使ってきたノートパソコン ThinkPad Edge 11"*1を買い替えようと物色。仕事外で使用する。条件としては

  • 囲碁のフリーAIソフトのLeela Zeroとその検討用ツールLizzieを動かす。
     →NVIDIAGPU必要
  • 機械学習関係の勉強をする。→NVIDIA
  • Cafeでの使用が多い
     →携帯性(軽くて小さい,バッテリーは少なくとも6時間位持ってほしい)

候補は、

  • ThinkPad T480あたり
  • Zenbook 14とか

を考えていて、お店で見たりしていたのだが、たまたま

MSIの PS42 8RC-009JPを見つけてしまい。結局手に入れた。

http://s.kakaku.com/item/K0001095464/

詳細は後報。今のところ非常に満足してる。

 

*1:すでにWindows10を動かせなくなっていたのでLinux専用機と化していた

「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」読了

AIが到達しているレベルのはなしと、子供の読解力の話。
新井先生のグループが行った調査によると、およそ半数の高校生が教科書を読めないという。
これは、昔からだったのか、最近になって読解力が低下したのか非常に興味がある。何か研究結果があったら知りたい。
個人的には、実は昔からだったような気がする。というのは、本の中で述べられているような「読解力」が無い人は、自分の周りにはたくさんいて、それでも普通に生活ができている。何を普通というか、将来の「生活」はどんなものか、にもよるのだと思うが。

昔から、我々は半数が読めない社会で、なんとかやってこれていた、ということであれば、それを成り立たせているのは、人間のどういった能力なのかということが非常に重要な気がする。
なんかそういう問題を議論してるものはないかな。調べてみよう。

もし、AIがそういう能力*1も身につけてしまうと、ほんとうに人間はやることがなくなるかもしれない。

*1:それがなんなのか自分でもわからないわけだが。

気がついたら5年も記事を書いてなかった。
Facebook始めて2年後が最後の記事。
身近な人に言いたいことはあっても、不特定多数に向けて言いたいことほ、あんまりなかったということなのか。あるいは、書く環境が変わって意識が変わったか。
また少しずつ書いてみようかな。

前提と笑いと移転

http://twitter.com/suisogaku_bot/status/277683796088872960

ホルンが弱いからユーフォも吹いたげてと言われた時のホルンの悔しそうなのとと楽譜が違うから音教えてもらう時の申し訳なさが半端ない。

っていうtweetがあって、これはものすごく実感があって、俺は幸せにずいぶん笑ったのだが、これがどうしておもしろいかというと、以下のような背景があるからなのだ。

  • まず冒頭にホルンとユーフォという言葉がでて来るが、この時点でこの話が吹奏楽団内の話であることがわかる。ユーフォはユーフォニアムという楽器を指していて、ホルンとユーフォニアムが同時に演奏されるのは、吹奏楽以外ではほとんどあり得ない。
  • そして、「ホルンが弱いからユーフォも吹いたげて」というのは、ホルンが旨く吹けていないか、音量が足らないから、ユーフォも同じことを吹けという指示であり、要は元々の作曲者の指示を変更しようとしていることな訳で、これは普通プロはやらないから、この話はアマチュアアの吹奏楽団の話である。
  • 吹奏楽は何種類もの楽器で構成されている。全員集まって行う「合奏」の他は、楽器の種類毎に集まって「パート練習」を行う。部活ではこのパートが基本的な生活の単位になる。
  • ホルンは習得が難しい楽器で、中学や高校の吹奏楽部では、まともに吹けるようにならない人はざらにいる。
  • だから「ホルンが弱いから」という、おそらく合奏時にバンドの指導者から発せられた言葉は、バンドのメンバーからすると、「ああ、またか」であり、ホルンパートとしては、いつものつらい指摘である。
  • 一方、「ユーフォ」=ユーフォニアムという金管楽器は、一般に比較的影が薄いと見られている。活躍することもあるが。担当する人の性格は様々だが、普段物静かだが実は変な人、ということが多いとされる。で、基本的には物腰が柔らかい(例外もあるが)。
  • 吹奏楽部は女子が多いせいもあると思うが、基本的に争いを好まない。特にパート間の優劣を表立って問題にすることはタブー視される。もちろん陰では言うが。
  • 上記tweetはユーフォの人から見たものだと思われる。
  • ホルンの楽譜はト音記号で書かれていて、譜面上の"ド"の音がピアノの"ファ"に相当する。これはホルンの特性による。説明は長くなるので割愛。
  • ユーフォニウアムの楽譜はヘ音記号で書かれ、楽譜上の"ド"の音はピアノの"ド"である。
  • したがって、ユーフォの人は、ホルンの人の楽譜をそのまま読めないので、「音教えてもらう」必要が生じる。

どんな笑い話でもそうなんだが、割と多くの前提を要求するヤツほどおもしろい。この話は、吹奏楽経験のあった日本人以外は笑えないと思う。

笑いというのは、知っているヤツとそうでないヤツを分ける機能があるとなんかで読んだことがある。

で、海外へどんどん出て行くのだって、会社は言うわけなんだが、これまでに身につけた「前提」の一部を修正しなきゃならんのが、結構堪える。習得コストも安くはなかったんだぜ。*1

で、自分は高齢の両親を故郷から引きはがして同居している訳だが。

*1:こんなこと言うのは俺が年取ったせいだと思うが。

iPhoneを自力で修理してみる⇒失敗

普段胸ポケットに入れているせいで、今まで何百回もiPhoneを地面に落してきたが、致命的な故障はぜずにきたが、どうやら運を使い果たしたらしく、先日遂に全面のタッチパネルが割れた。

storeで修理すると10000円近くするので、3000円で売っていた交換用パネルを購入して自力で修理を試みる。
買ったパネル

参考記事
http://teamtandf45.blog84.fc2.com/blog-entry-270.html
http://www.youtube.com/watch?v=Cqcvx6bLxZg

修理というか、ほとんど全ばらしに近い感じ。

二時間ぐらいかかっただろうか。
どきどきしながら電源を入れると、一応動く!!
しかし、「圏外」が出っぱなし!!

調べてみると、アンテナとかSIMの問題らしい。
http://d.hatena.ne.jp/koubou-kagura/20110913/1315893683
http://techon.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20100629/183878/?ST=print

とりあえずは、家族の3GSでしばらくしのぐが、継続してがんばるつもり。結果は後日。

グローバル企業のトップの話とか宮沢賢治の「なめとこ山の熊」の話

(注意:たぶん過去最長のエントリーで、しかもまとまりがない)

グローバル企業のトップ

 先日、
グローバル企業のトップはみんな猛禽類(まつひろのガレージライフ)
http://matsuhiro.blogspot.jp/2012/05/blog-post.html
というページを感慨深く読んだ。曰く、

グローバル企業の上級幹部になるような連中は猛禽類の肉食獣なんです。

で、特徴として挙げられているのが、

  • 恐ろしく弁舌が立つ
  • 弱みを見せない
  • プレッシャーに強い
  • 異常に働く
  • 右手で握手をし、左手で背中から刺す

そうだよなぁー。自分は"グローバル企業の上級幹部"に該当する人に直接会ったことはないのだけれど、仕事上の経験に照らすと容易に想像がつく。要するにタフな人たち。負けないためにはこれは必要なことなんだよな。

宮沢賢治の「なめとこ山の熊」の話

 昨日、車の中でラジオをつけたら、NHKで朗読をやっていて、それが熊をとる猟師の話だった。途中からだったのだが、最後に猟師が熊にやられて死んだ後に、熊が集まって葬式のようなことをやるという情景が非常に印象的で、最後に「なめとこ山の熊」というタイトルだけアナウンスされたのを手がかりに調べたら、宮沢賢治の作品だった。
ちょっと長いけど、Wikipediaのあらすじを引用する。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%AA%E3%82%81%E3%81%A8%E3%81%93%E5%B1%B1%E3%81%AE%E7%86%8A

なめとこ山の麓に小十郎という熊撃ちの名人がいた。小十郎には家族を養えるほどの畑はなく[1]、山林は政府のものとなって伐採が禁じられ、里では職にありつけず、熊を撃つしか家族を養う道がなかった。

小十郎は、一家七人を養うために、熊を撃ちまくったが、本当は熊に申し訳ない気持ちでいっぱいであった。彼は熊撃ちの時は自信に満ちた名人だったが、殺した熊に言い訳を聞かせ、次に生まれる時には熊になるなよと熊に語りかける。そして、熊の肝と皮を担いで帰る時はみるかげもなく、ぐんなりした風で山を降りてゆく。 

なめとこ山の熊にとって、撃ち殺されるのはもちろん迷惑だったが、熊はそんな小十郎に一種の親近感を抱き、いつも高いところから眺めていた。小十郎は時おり、熊の言葉さえ分かる気さえした。彼が、なめとこ山で道に迷って、熊の親子に出会った時に、小熊と母熊の会話を理解してしまい、胸がいっぱいになって、こっそり戻った時があった。

山では気高い小十郎も、なめとこ山の熊が肝と毛皮という商品に変わってしまい、町の金物屋に売りに行くときはみじめだった。小十郎の毛皮は、ずるい荒物屋によって2枚で2円という安値がつけられる。生活がかかっている小十郎は、それが不当に安いことを分かっていて、仕方なく手放してしまうのであった。

ある日、小十郎は、木に登っている熊に出会い、鉄砲を構えた。 鉄砲をつきつけられた熊は、観念し、木から下りると、小十郎に自分が殺されなければいけない理由を尋ねた。小十郎は、最後には安く買い叩かれてしまう熊の末路を教え、気の毒に思っていることを告げた。さらに(本当は熊撃ちをやめて)草の実でも食べて死ぬならそれでも良いような気がする、と本音を漏らした。すると熊は、二年間し残した仕事を済ませたら、二年目に小十郎の家の前で、死んでいてやるから、胆でも皮でもあげるからと約束した。小十郎はそれを聞くと切なくなって、見逃してやった。ところが二年後、熊は小十郎の家にやって来て、約束どおり死んでしまった。小十郎は熊を見て、思わず拝むようにした。

一月、小十郎は母に、「水に入る(猟を始める儀式)」が嫌になったと弱音をはいた。それから白沢から峰を越えたところで猟を始めた。するとまもなく不意打ちで熊が現れ、小十郎は撃ち損じて熊に襲われてしまった。小十郎は、お前を殺すつもりはなかったという声を聞き、青い火を見て死を悟り、熊どもゆるせと心でつぶやいた。

三日後、小十郎のために数多くの熊が集い、盛大な弔いが行われている場面で物語が終わる。

(青空文庫でも読める。:http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/1939_18755.html)
こういう話を「グローバル企業のトップ」的な人はどう読むんだろうと思った。たぶん笑う話にしかならないだろうな。それがだめだというつもりは全然ない。これ読んでしんみりしているようでは生き残れないような気がする。案外privateでは、こういうのを読んでたりするのかも知れないが。

対比

自分の中には会社員としての立場と普通の自由な人間としての立場があって、いろいろに使い分けて生活していて、前者の立場は「グローバル・・・」に近い位置だ。望む望まないに関わらず、そう在らざるを得ない。後者の立場は「なめとこ山」的なものに共感したりする。それはそれだけの話であってしょうがないんだが、二つの話の間には相当なギャップがあって、何だかなぁと思う。
両方の立場を内包した自分がすべきことは何なんだろう。

(たぶん)関連のあるはなしとして、
内田先生のブログにあった、下記記事が気になっている。
「利益誘導教育の蹉跌」
http://blog.tatsuru.com/2012/05/11_1204.php
曰く、

彼らが「学校教育の目的は次世代を担うことのできる成熟した市民を育成することである」という本義に気づくまで、いったい私たちはあとどれくらいの時間を無為のうちに過ごさなければならないのだろう。

なんだかまとまりがないけれど、忘れないうちに書いておくことにした。