匿名/現実における理性と欲望の交差点

★「ガッチャマンクラウズ」レビューです。

あにこれβにも載せています。(http://www.anikore.jp/review/1111472/

匿名/現実における理性と欲望の交差点

 監督である中村健治さんはこのアニメをつくるに当たって、1「現代は、ネットによってわれわれの心が可視化されたが、それによって起こる出来事に個人も社会も追い付いていない」、2「物事が細分化(専門化/多様化)されたことによって、一人の人間では世界全容を理解するのは不可能になっているのだが、われわれは心の底で一人の優秀な人物が当然のように世界全容を理解し、問題を処理していると盲信している」の2つのことを考えていたという通り、『科学忍者隊ガッチャマン』の要素を、ほとんどまったく別のストーリーや設定に換骨奪胎して、インターネットが普及し、人々は自らのタブレットで各々のアバターを用いて、互いに匿名の他人とコミュニケートする時代を描いている。
 ルイは、人々を匿名のネットワーク上で繋ぐSNS(GALAX)を開発し、人工知能的(独立型自己成長的)統合管理システム(総裁X)によってバーチャル(GALAX)上の人々を匿名のまま現実の諸関係と直接的に接続する仕組みを作動させていたが、彼自身は世界の進み具合がまだまだ遅れていることに遺憾を覚え、ゲーミフィケーションなどをGALAXの匿名な関係性に課すことで、(「世界をアップデートするのはヒーローじゃない。僕らだ。」という標語に見られるように、)特殊で単独な存在ではなく一般の人々それぞれが複数のままヒーローとなる、「世界をアップデート」することを目指していた。それに力を与えた者でもあり、ルイを裏切り、そのシステムを逆手に取ったのがベルク・カッツェである。この点は正に現代のSNSやインターネットの、表裏一体の二つの側面を表している。ルイは人工知能型統合管理システム(総裁X)を、匿名的存在を現実に接続させることで人々を閉塞した日常から新しい関係性へと解き放つシステムとして作動させていたが、ベルク・カッツェは総裁Xを自らの指針によってファシズム的に人々の欲望をアジテートすることで、操作されている人々がそれと気づかないままに暴力として露出してしまうような、一種のアナーキズムシステムとして起動させてしまうのである。この両極端な面は現実に起こっている現象として、SNSが資本主義によって欠落した中間共同体を復興し、人々の承認やつながりの受け皿になっている一方で、自らの欲望を無限に自家撞着させ、パーソナライズされた都合のいい情報を無批判的に取り入れることを増強させる装置としても働いていることを示している。そしてルイとベルク・カッツェの関係性から導き出されることは、「世界をアップデート」させるような匿名性の回路を現実に直結させることは、それ自体が自己成長的に(アップデートを企図する)人間の意識と独立してはあり得ないということである。ストーリーの着地点としては、敗北したベルク・カッツェの煽りを人々がスルースキルをもって無視するのに見られるように、人々のリテラシーに重きが置かれていた。とはいえ、ベルク・カッツェの起こした惨状から分かるのは、スルースキルを求める啓蒙的発想には限界があり、それ以上に人々は自らの欲望に固執し過ぎるという現実である。
 ガッチャマンクラウズは、ルイが女装癖のある男性(多様性を肯定する世界)であり、ベルク・カッツェがネットスラングを多用する(自己に閉塞する世界)キャラクターとして設計されている点にさえ、批判的な構図があまりにも明快に表されている。