まさかの乳がん体験記

リクライニングシート8とベッド2ぐらい。おやつ、飲み物の持ち込み自由。
DVDも持ち込めば、見る器械を借りて観られる。

乳がん体験記の続き




   昨年以来、日記はご無沙汰、。「もう書かないの?」などと言われたり、体調悪くなって書けないのでは?と電話を貰ったり。
元気ですが、怠け癖が出ただけ。またボチボチと書きます。
Windows7に、替えてから、ダイアリーの編集画面の上部に出ていたアイコン、入力支援ボタンが出なくなって、前の様な日記が書けなくなり、今、問い合わせの回答待ちのところ。

まさか!の乳がん体験記−7

 入院、手術     乳がんと診断されて、20日足らずの間、日中は、何やかや整理片付け、夜はPC検索。        知りたくない事まで、出て来るのに、止められなかった。間際になっての、献立表作りも、なかなか頭を使って時間が掛かり、体にいい事無いと解っていても、ズーッと睡眠不足。「ま、いいか、どうせ、入院したら、一日中でも眠れるから」などと、また又開き直りの気分。    変な話だが、もうこうなったからには、不安も心配も無くて、家族には申し訳ないけれど、「やれやれ」とホッとした気持ちであった。               2009年6月1日 入院   主治医からの手術についての詳しい説明も有るので、息子も勤めを休んで、主人と共に、病院まで来てくれる。  未読の数日分の新聞、24時間総て自分の為の時間だから、きっと読めるだろうと、ハードカバー、文庫本取り混りまぜて4,5冊、毎月読んでる小雑誌、お子様ランチ程度のセミクラシックのCDとプレヤー、住所録、便箋、はが、など、後生大事に持ってくる。    夕方、3人で、主治医のA先生達から、もう一度、病状と、手術の方法や、その時に起こり得る、異常や合併症と対応法などを詳しく丁寧に説明を受ける。   
 ここでまた、この大きさになっても、リンパ節に転移が認められないのは、本当にラッキーと言われる。   開いてから、もう一度、がん細胞が、最初に行きつくセンチネルリンパ節で、色素沈着がないか調べられるそうだ。   3,5センチの大きさのガンの周りより、1センチか2センチ大きく、余分に切り取るらしい。   切り取った組織は、病理細胞に回されて、どんな顔つきのガンか、術後2,3週間で解る。   それから、その顔つきにあった抗がん剤が選ばれたり、治療法が決まる。   
乳がんは 手術が無事終わって、ヤレヤレではなくて、手術は治療の始まりです」と又先生は仰った。     息子が、3,5センチもあるガンなのに、全摘でなく、温存法でも大丈夫なのかと、念を押して聞いたりしたので、「ヒョットして、息子さんは、ご同業?」と逆に尋ねられる。時々、先生に詳しく説明させてから、付き添いの家族から「実は、私は何々病院の外科医でして・・」という人がいるらしい。

まさか!の乳がん体験記−6

 入院まで   入院までの日々、毎日の家事の他に、兎に角、できる限り、普段,手を付けてない所の整理をしなければ との思いに駆られる。                          もし、私が居なくなったら、さぞ、遺された人たちは、大困りだろうと思う。    他の病気の入院ならこんなことは思わないだろう。いくら気楽トンボでも、やっぱり「ガン」と言われると、家族が遺されるのではないかと、密かに心配になる。   入院までの日々は、十分あると思ったし、何か体を黙々と動かしている方が、気が紛れるけれど、とても大変な作業だ。余りにも捗らどらないので、こんなこと始めなければよかったと後悔する。                    自分でも、一番呆れたのは、新聞、本の切り抜きの多さだ。でもこんな物は、必要とする人が居なくなったら、何の意味も無い。やるべきは、生活備品、何がどこにあるか、誰にも判るようにする事だと気付く。   阪神大震災の建て替えの時以来の、「取り敢えず」と、手当り次第に押し込んだ物が、頭を悩ませる。 結局、決心した事の半分ぐらいしか出来無かったが、こんな事でもない限り、苦手な「整理」は出来ない私なので、これも、天の配慮かと思ったりする。
 10日間の入院中の留守家族の食事も頭が痛かった。休日も帰宅時間も不規則な息子、外食は好かん、まして一人では絶対嫌、という主人。      入院までに、買い物にも付き合って貰って、スーパーや、お惣菜やさんのおかずなどを買って、「まぁ、なんとか食べられそう」と言うのを決めておいたり、 生協さんの、レトルトや冷凍のオカズ類を沢山買い置きもし、私のお気に入りの特殊お鍋でのIHのご飯の炊き方もメモに書いて教え、A実業の美味しいインスタント味噌汁も揃えた。     不自由をするかも知れないけれど、これで非常事態も一安心と思っていたら、困った顔をして、主人が言った。
「こんなに沢山買ってくれても、毎日、どれとどれを組み合わせて食べたらいいか判らん。」  カレーとか、おでんとか、一品でおかずになるものはよいが、主菜、副菜、お汁物の組み合わせとなると、台所経験のない人には、思い付けないのも無理ないと気が付く。   そこで、大きなカレンダーの白い裏紙に、10日間の献立表を作っておくことにする。   この献立表は、私が退院してからも後々まで、何かの話のついでに、 「大助かりやった」と、何度も有り難がられた。

この他に、ほうれん草を茹でるのは簡単だし、これ一つ覚えておけば、そのままお浸しやバター炒めも出来ると思い、教えかけたら、いちいち操作を、デジカメに収めようとしたのには驚いた。        

まさか!の乳がん体験記−5

前回受診の時に、先生はもう、ガンと確信なさっていたようで、看護師さんが「3日の手術・・・」と言う声が聞こえていた所から察するに、既に、6月3日の手術予定が抑えてあったようだ。 1日入院3日手術と決まり、それまでに、22日ーCT(採血、放射線、生理検査も)。28日ーMRI検査の予定も決まる。       余りにも手回しよく、あっと言う間に、手術日まで決まってしまったので、急を要するほど、ガンが進んでいるのかもしれない、と微かに不安を感じたけれど、それならそれで、「なってしまったものは仕方ない、神様(私が神様というのは、単に宗教上の神仏の事では無くて、人間の力ではどうしようもない大きな大きな力ーSomethinng Great の事だ)、どうか、私にとって好いとお思いになる方向にお導き下さい。」と開き直りの気持ちが出てきた。                              直ぐに手術が出来るのも、ラッキーかも知れない。総ての検査が終わってから、手術前日までに、もう一度、病状と手術方法について、患者と家族に詳しい説明が有るとの事。   それから、手術の為の入院に準備する物や注意事項について、プリントを渡され、入院担当の看護師さんから、細々と説明を聴き、夕方帰宅。 帰り道、主人が、ますます無口で、ションボリと見えた。  大変な事が現実になってしまった、と思っていたのだろう。  主人でなくて、気楽トンボの私が、当の病人で良かったとつくづく思う。   私のほうが、ガンの家族を慰め励ましたい気持ち。