ページをめくる

波状言論」が送られてくる。噂には聞いていたが、長い。ここまで長いと、さすがにプリントアウトしなければきちんと読む気になれない。

ディスプレイで長文を読むのが苦痛なのは、そこに「ページ」という概念がないからだろう。われわれは「全部で何ページぐらいの文章なのか」が事前に把握できないと、その文章をどの程度のテンションを保ちながら読めばいいのか判らなくなる。まったく同じ内容の文章でも、独立した短篇小説だと思って読む場合と、長編小説の一部だと思って読む場合では、集中の度合いはあきらかに異なる。そして「ページをめくる」という行為によって、読書には一定のリズムが生まれる(あ、いま判った。オレが雑誌のコラムを読むのが苦手で、だいたい途中で飽きてしまうのは、「ページをめくれない」からだ。視線がさまよっちゃうんだよね、判型が大きい雑誌だと特に)。ブラウザやエディタをひたすらスクロールさせながら文章を読むのは、巻物をくるくると巻きながら「源氏」を読んでいた平安人の読書スタイルに近いわけで、優雅といえば優雅だが、やはり不便である。

昨日取り上げたazurというソフトは、単に「縦書きで表示できる」だけではなく、「ページがめくれる」という点でも、いろいろな可能性があると思う。テキストデータがメインのサイトなら、青空文庫以外でも使えるようなので。

自己責任3

風野さんも指摘するように、被害者に「女子供」が含まれていたのが、彼らに対する批判が高まった原因のひとつではないかと私も考えています。とりわけ唯一の女性ある高遠さん、およびその家族ばかりが、個人サイトの掲示板を荒らされたり、いたずら電話の被害を受けたことには、何とも嫌な感じを受けます。

あとは被害者やその家族を、「このひとは同情できるけど、このひとは同情できない」と「区分け」するひとたちへの憤りもあるのですが、とりあえずは無事に解放されたことですし、この事件についてはこれ以上は言及しません。

最後に、今回の件に関して心に残ったテクストをふたつ引用します。リンクや強調箇所は原文ママです。


で、まあこういう事件になると「自作自演」だの「自業自得」だのとえらい倫理的なことを言い出す道徳的な人がたいへん多いわけですが、そのわりにそういう倫理的で道徳的な人はイタ電しちゃったりもするんですが、なんか関係ないかもしれませんが、「痴漢行為は、痴漢を寄せ付けるスキを作った女の側の責任」とかいう Blaming the Victim の匂いがプンプンするのだ。

sociologbook

 人質の家族にいやがらせしてる連中は最低。プロ市民が嫌いだからいやがらせする」ってのは、「イラク人が好きだから助けに行く」のと同じですよ。虫が好かないやつでも手助けするのが、真の人道主義だと思うけどね。


 昔、柄谷行人がどこかで「偽善を嫌うあまり偽悪的になる人がいるが、偽善は偽りでも善なんだからいいのだ」と語っていた。ボランティアや市民活動に熱心な人も、反発する人も、みんな偽善を恐れすぎてるような気がするなあ。愛とか同情とか「純粋な気持ち」といったつまらないことを重視しすぎ。偽善でいいじゃないですか。べつに精神修業のためにボランティアやるわけじゃないんだから。

a day in the life of mercy snow