京都メディアフォーラム例会記録(2004.7~2011.12)

京都メディアフォーラム例会記録

ゼミがインターンシップと出会うとき1−出会いから始まった−

筒井の挨拶を見る(2分間)

(ダウンロードするか、iTunes for mac/winで見てください。)
大学コンソーシアム京都主催の長期インターンシッププログラムにコーディネータとして関わっているのはかつて書いたことがある。長期インターンシッププログラムすべてのプロジェクトの成果発表会が昨12月初めに行われた。実は、そこで別のインターン生の特筆すべき報告を聞いた。今日お話しするのは、この話だ。少し長いので、四回に分けて連載する。


京都伏見にある酒造会社「キンシ正宗」さんのインターン生であった田中優香さんさんと、ナジックアイサポートさんのインターン生であった増岡志寿香さんの報告が素晴らしかった。いずれも京都工芸繊維大学の三回生の理科系学生だが、前者は、有償インターンシップ制度の普及・広報活動をするために、学生へのグループインタビューを積み重ねたり、学生への広報戦略を現場から提案した。後者は、醸造会社で日本酒製品作りに燃えて入ってきたのだが、それにとどまらずパッケージデザインや新しい日本酒飲用者の掘り起こし戦略を練ったのだった。


12月の発表会で、他のプロジェクトのインターン生、受け入れ企業さん、コーディネータ教員などを前にして、実地調査や戦略会議を経て、理詰めの分析をしていた。これを聞いた他の受け入れ企業さんや教員も一様にそのレベルの高さに驚き、「彼女たちの報告は、もはや学生ではなく、企業プレゼンでも滅多に見られないほどレベル的にもまた、クライアントを説得できるほどの気持ちが伝わってくる」と言わせたほどだった。


私は彼女達の発表のレベルの高さに打たれて、発表会終了後、訳もわからずただ彼女たちとつながりたいと思って、名刺を持って自己紹介しに言った。でもそれだけでは物足りたいので、話しているうちに、ゼミ活動と繋げれば、いい影響があるのではと思いつき、「一度ゼミに来て、発表していただけませんか?」とお頼みした。すると、彼女たちは快諾してくれた。さあこれからどういう形にしていくのかだ。


発表会での筒井の挨拶。お二人の発表のすばらしさに魅せられて、私の方から彼女たちにコンタクトを取って行って、本日の発表会に至るまでの経過を話しています。

ゼミがインターンシップと出会うとき2−キンシ正宗さんでの発表会まで−

京都精華大学柏木君の発表を見る前半(8分間)

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実は、私の発想はよかったのだが、その後はまったくさんざんだった。彼女たちとゼミ生とが何度も打ち合わせをしたのだが、力量の差とゼミ生の経験不足があって、ゼミ生がまったく歯が立たず、それが彼女たちや会場を提供していただくことになったキンシ正宗さんとのコミュニケーションがうまくいかない時期が本番直前まで長く続いた。


彼女たちから、「このままだと本当に発表会ができるのか不安です」という不満の声が寄せられたし、キンシ正宗さんの田中部長さんからも、「本番が近づいてきているにもかかわらず、何をするのか学生からまったく連絡がない」と、かなり不機嫌な声が寄せられた。このままではたとえ発表会を実施できたとしても、後味の悪い、いや、彼女たちやキンシ正宗さんにご迷惑をかけることになるとすれば、申し訳ないと真剣に悩んだものだ。


発表会の構成も工夫した。彼女たちの発表をゼミ生が聞くだけでは、ゼミ生は受け身に回るのでよくないと思い、ゼミ生の活動報告も準備させた。ゼミではラジオ番組を企画制作して、他の大学生と精華大生とをつなぐというプロジェクトが進行していた。それを発表してもらうことにした。番組制作自体は比較的スムーズに行ったが、ラジオ番組を制作する目的やその意味づけを発表しようとするときには、ゼミ生のアイデアはまったく進まなかった。しかも、発表原稿が発表会前日にようやくできたのだが、発表者のプレゼンを仕上げることはもっと大変だった。プレゼンの発表目標として、

  1. メモを見ないで聴衆に語りかけながら発表すること
  2. 発表者は、自分の気持ちを込めて、自分の言葉で語りかけること

を設定して、それを達成するまで準備することとした。


前日のリハーサルは数時間かけて発表者が練習をした。私は会議で中座して最後までわからなかったのだが、終了後のゼミ生の連絡によると、メモから目を離せず、まだかなりぎこちないままでリハーサルを終えて、後は発表者が自分だけで練習して、本番に望むという決定をしたようだ。


誰も発表準備に満足しないままで本番に望むという決定をゼミ生がしたことは大きな間違いだと思うが、それを誰も言い出せない状況を破らないといけない。私は、その夜、すぐにゼミ・リーダーに連絡して、本番当日の午後に時間があるので、そこでリハーサルをしようと提案した。


翌朝、リーダーから電話があり、発表者から「風邪で声が出ないので、発表できない」という連絡があったとのこと。発表者の無責任さにはあきれたが、しかし同時に、リーダーが「もし誰もしないならば、私が代わりに発表者になります」と言ってくれたのはうれしかった。そうなんだ! いざという時は、リーダーがやるんだ。彼の成長ぶりを見て、成功を確信した。


午後に、プレゼン原稿作成者と発表者と私が集まって、まず、予定された原稿を今から練習しても間に合わないので、発表者がもっとも言いたいことだけに限定して発表しようということで、原稿を大幅に削った。削った部分は、プレゼンにとっては不可欠の部分であった(プロジェクトの経過、目標、ターゲット層の設定など)が、それは質疑応答の時に答えることにした。つまり、発表者がもっとも言いたい部分(番組のコンセプトや構成内容の説明)だけだと代役発表者でも確実に自分の言葉で話せるのであり、それでなんとか最低限のラインを死守しようという捨て身の戦法だった。それがいいかどうかという選択肢はもはやなかった。私は、先に発表会場に行ったので、プレゼンの練習を最後まで見ることはできなかったが、会場に来た時、発表者の表情は比較的落ち着いていた。

以後は、発表会当日の模様をお見せする。
まずは、私の挨拶から。


次はいよいよ京都精華大学生の発表です。緊張しながらも、切々と語る柏木君の話しぶりは、初めてのプレゼントは思えなかった。