yuhka-unoの日記

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自己犠牲という暴力

自己犠牲的精神の持ち主は、助けてあげると言いつつ、なぜか重くのしかかってくる。
例えば、もし自分の親が自己犠牲的精神の持ち主で、「あなたのことは、私が全部背負ってあげる」「私さえ我慢すれば、それで良いの」と言いながら、ボロボロになっていたら、その親を見る子供の気持ちはどうだろうか。
子供は「親は自分のせいでこうなっている」と、親に対して罪悪感を抱き、「自分で背負えるものは自分で背負いたいのに」と、自分の気持ちが無視されているように感じ、親の「優しさ」に重さを感じるだろう。
相手の気持ちを無視し、罪悪感を抱かせ、そして重い。これは「困った親」に共通した特徴だ。助けるはずの相手にのしかかって押さえつけている。
 
自分には限界がある。自分には、自分にできる範囲のことしかできない。自分以上のものになろうとするから色々とおかしくなる。子供を虐待する親も、自分以上の「良い親」になろうとして、自分の理想像に無理矢理現実を当てはめようとするから、色々と歪んで、おかしくなっているのだ。
自己犠牲的精神の持ち主も、自分以上のものになろうとしている人だ。だから色々とおかしくなる。
 
助けるということは、あくまでも、問題を抱えた当人が主体だ。支援とは、当人を支え、当人の自立を助けることであって、当人の問題を丸々肩代わりしてしまっては、当人の自立の機会を奪ってしまうことになる。当人を「優しさ」の名のもとに、飼い殺しにしてしまう。
「自分にはここまでしかできない。ここから先は、あなたが自分ですること」「これは私が自分ですることであって、あなた任せにすることではない」という線引きができるのが、本当の優しさだ。
私の母にはこれができなかった。他人に嫌われたくないがために、他人がやるべきことまで引き受ける。その分、自分がほぼ完全に支配できる子供に対して、自分がやるべきことを押し付ける。線引きができていない人は、どこかで歪みを生じさせ、どこかで無理を生む。
 
自分勝手な人は、自他の線引きができておらず、相手の気持ちを考えない。本当に優しい人は、自他の線引きをした上で、相手の気持ちを考える。
自己犠牲的な親は、実は「自己犠牲的な自分像」を保っておくために子供に依存し、子供を自分に依存させるよう仕向けている。
自己犠牲的な自分に酔ってはならない。「自己犠牲的な自分像」を保っておくために、他人を踏み付け、犠牲にしてはならない。
 

他者が傷つくのは厭うのに自分は傷つける
傷ついた貴方をみて
貴方を大切に思うモノがどう傷つくかも理解らない
あたしそういうのって嫌い
 
CLAMP 「XXXHOLiC」より