遠山啓『無限と連続』(1952)


高校生のとき、
遠山啓、矢野健太郎両先生創刊編集の雑誌「数学セミナー」に憧れ、
ときどき購入しては拾い読みしていた。
杉浦康平アートディレクションが洒落ていて、
月例課題にも「エレガントな解答、求む」とある。
数学ってかっこいいなぁ、と思えた。



無限と連続―現代数学の展望 (岩波新書 青版 96)

無限と連続―現代数学の展望 (岩波新書 青版 96)


遠山啓『無限と連続』を読む。
通読したのは久しぶりだ。
代数学の考え方への道案内を
わずか189頁の新書で試みる先生の意欲作だ。
いま読んでも決して簡単ではない内容だ。
数学者の人柄に触れ、歴史・哲学の話題と関連づけて説明する
人間味と教養の広さ深さが先生の講義の特色だ。
僕はそこに憧れた。


文化としての数学 (光文社文庫)

文化としての数学 (光文社文庫)


吉本隆明の遠山先生への追悼文
「西日のあたる教場の記憶」の最後にこんな文章がある。


   遠山さんのもっていた哲学と文学の素地は、
   おのずからその方向をさしているようにおもわれた。
   あの徒労にも似た強靱な数学教育の方式の創設と実行の背後にあって、
   遠山さんをささえたのは基礎論の研鑽と整序された構想であったろう。
   わたしたちは数学と哲学のその融合の姿をみる日を
   もうもつことができなくなってしまった。
               (遠山啓『文化としての数学』p.247)


吉本隆明という人は、
なんと美しい文章を書くんだろうと思った。
遠山先生の名著『代数的構造』の本質を
吉本が理解して文章を書いていることも僕を驚かせた。
先生が当時助教授を務めていた東工大
化学を専攻していたのだから、
不思議ではなかったのかもしれないが。


代数的構造 (ちくま学芸文庫)

代数的構造 (ちくま学芸文庫)


こんな一文もある。


   数学上の業績に限定すれば、
   遠山さんよりも優れた業績をあげた
   同時代の代数関数論の学者はいるかもしれない。
   けれど総合的な構想力と洞察力と識見を包括して
   遠山さんに匹敵する数学者が存在するはずがなかった。
   むしろそれだけの思想家が存在するはずがなかった
   といっても誇張ではない。
               (同上p.240)


吉本はこの文章に添えて
自分の肩書きを(詩人・思想家)と表記している。
遠山先生を「数学者」としてだけでなく
自分と同じ「思想家」の先達として評価していたのだ。



数学が抽象度を増し、
思想や哲学との境目が曖昧になる領域に入るとき、
遠山先生の数学を語る文章が詩になり哲学になり、
吉本が数学を詩や思想のように理解できたとしても
少しも不思議はないのかもしれない。


追悼私記 (ちくま文庫)

追悼私記 (ちくま文庫)


(文中一部敬称略)