別れ

朝から風邪気味で、最後の最後まで先生には迷惑をかけるなと思いつつも、予約を入れてしまった関係上床屋にも寄らざるを得ずまあ、それで特に体調が悪くなるわけでも良くなるわけでもなかったけど、ちょっと気が重いなと思いながら施術を受けた。

自覚通り相当酷い状態で、揉める状態では無いという判断で最後はお灸のみとなった。時期的にもそんなお客は多いらしい。
で、いろいろと先生の今回の決断に至った経緯を聞きながら施術を受ける。
詳細を書こうと思うと先生の世界観やら独特の理念について延々と書くことが前提になるし、生中に理解している僕が書く資格もないようなことなのでここではできるだけ簡素に概略だけを書こうと思う。

先生はクライアントに対してかなり身を削るような思いで施術に当たり理想としては健康上の苦痛を取り除いて良い人生を送ってもらうことを目標としていた。長年施術を受けていた身から見てその言葉には嘘や誇大表現はないと思う。平均4時間以上は施療を受けて代金はその時どきでちがったが7000円を超える額を払ったことはなかった。そして確かにそれだけの時間をかけた効果は現れていた。

ただ、そうして健康状態を引き上げた人達のエネルギーが周りの人間によって無駄に浪費されることが多くなり、結果として先生の施術、指導を受けて自分を大事にケアするようになった人が多く病に倒れるようになった。

おそらく、先生は自分の施術によって例えば岐阜という地域が少しでも良くなればという壮大な理想を持っていたのだと、今日初めてはっきりと感じた。そして恐らくその壮大さに自分で追い込まれ、疲れてしまったのだと。

正直「キリンヤガ」を渡すべきか迷った。僕は先生が日本人が持っていた処世訓が家系を通じて伝承されなくなったことに絶望している様を見て、一面として伝統的な社会をユートピアとして守ることの困難さと時代の流れに抗うことの空しさを説いたこの小説を読んで視野を広げて欲しいと思っていたのだが、先生から今日聞いた話の内容はまるでユートピア崩壊直前に結末を見届けることもなくその地を去った老祈祷師が語っているように聞こえてしまったのだ。

ただ、先生は自分のユートピアに殉ずるより自分と家族を守ることをとりあえず選択した。いずれにせよ、そのリセットが必要であり必要なタイミングでそのような決断を下した先生には老祈祷師の高潔すぎるほどの頑なさではなく次につながる強さを感じ、改めて感服した。



最後に先生が僕に説いたことは、結果として僕が親元に帰ることになったことが大きな転換点となり、僕は一人で暮らした10年近い歳月の間に獲得した物をすっかりなくしてしまったようだ、ということだった。

それはその通りかもしれない。ただ、この回り道も健康なり生きるエネルギーなりといった先生に依存していた部分以外で起こった変化の起点として全く無駄ではなかったと思う。しかし今の親に肝心な部分を明け渡している生活は変化させなければ次のステップには進めないことも強く意識した。

僕も、社会も、やはり前に進み変化の中で何かを見つけていかなければならない。僕は先導役を一人失ったが、そのことでさえ変化の切っ掛けとして必要だったのだと後に思えるようにならなければこれから先訪れるかもしれない先生との再会の場で彼に合わせる顔がない。

先生が求めていた物はある種の奇跡だったのかもしれない。そしてそれを小さなコミュニティ全体に及ぼすことを理想として掲げていた。だが、小さな奇跡は恐らく何度も起こっていたはずだ。僕の中でもそれは確かに何度か起きたことを、僕は忘れない。