明智ゆかりの勝竜寺城

3月30日、昼から雨もやむとのことで、久しぶりの城めぐりに。京阪電車淀駅下車、ふつう、この駅でおりると、淀競馬場へいきはりますが、拙者は、駅近くの淀城跡へ、



誰もいない城跡の立札を眺めていると、自転車にのったおじいさんが、おもろいもの見せたるわと。もちろん、初対面です。おじいさんについていくと、石垣の鉄扉を勝手にあけ、どんどん奥に、すると、なにやら小石を拾いだし、また、奥へ進みました。立ち止まったところ大きなコンクリート蓋がり、真ん中に10センチほどの穴があいていました。おじいさんは、やにわに、その石を拙者にもたせ、この穴に落とすよう指示、落として耳をすますと、数秒後にポチャンと水の音が、これは深い井戸だったんです。どや、音なったやろ、ここは、昔、お姫さんが、御手水につかっていたところや、ふりかえってみ。振り返ると、大木の根っこに何やら、石をほった桶のようなものがあり、そこで手をあらってはったんやと。さすがにスゴイと想いました。



この淀城は、淀君のお城とは別に、徳川秀忠がつくった城でした。おじいさんは、そこのお稲荷さんで、拝んでみいや、ええことあるで、と言い残し、去っていきました。おじいさんのいいつけどおり、拝ましていいただきました。


次は、本日の主目的の勝竜寺城跡へ、3キロほど歩いて、たどりつきました。



ここは、細川忠興のもとへ、明智光秀の娘、玉、のちのガラシャが嫁いだ城です。
また、光秀が、織田信長を本能寺で倒したあと、秀吉との山崎の合戦にあたっての拠城にしたところです。
残念ながら、光秀は敗北し落城してしまいます。本丸の桜は満開ではなかったですが、光秀の無念を鎮めるように、しずかに、佇んでいました。