なぜ「勇気」がアンパンマンの友達なのか
一連の話を追っていて非常に興味深かったので言及してみる。
多分、この記事から始まったのであろう。
http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20080318/1205878374
人に言われてふるう勇気なんて大抵蛮勇だ - novtan別館
どの記事も「勇気」と云う言葉がやや広義に使われている様に思う。
なぜ少年漫画などで「勇気」が尊ばれるかと云えば、それが倫理的決断に於いて必要となるものだからだ。決して博打やナンパに必要だからではない。倫理的態度を是とするからこそ、その実行に必要な「勇気」が尊ばれるのである。逆に云えば、ナンパに必要なのは「勇気」ではなく「青少年が持て余したはち切れんばかりの性欲」である。
また、こちらの記事は今回の文脈から発生したわけでなはいが、その辺りが混乱しているように見える。
「公開言説は実名で行われるべきである」と云うのは倫理的命題ではある。故に、その実現には「勇気」が必要であろう。が、個々人が言説を公開すること自体は倫理的な行動ではない。従って、そこに「勇気」を求められても仕方がない。まずは最初の命題を共有するのが先で、「勇気」の必要性はその後で発生するのである。順番が逆。
そして、倫理を軽んじてみれば、当然「勇気」などは愚かなものでしかない。
http://d.hatena.ne.jp/Rir6/20080316/1205682434
倫理的志向性や指向性や嗜好性が低い場合に「勇気」を嘲る態度が表れる。
「勇気」がアンパンマンの友達なのは、彼が倫理的使命感を持った存在だからである。