日毎に敵と懶惰に戦う

酒と食い物と美術と旅と横浜…などの記録。Twitterやってます @zaikabou

HSSTと言えば

昨日乗ったリニモは、HSST(High Speed Surface Transport、常電導磁気浮上システム)の初商用化となるわけだけど、HSSTと聞いて古い記憶が蘇る。HSSTの商用化といえば、大船駅とドリームランドの間を結んでいたが廃線になった「ドリームランドモノレール」の復活に活用されるはずだったんだよな…と。
廃線研究所 ドリーム交通モノレール大船線
あれは1994年、中学3年生のときだった。学校で、修学旅行もマンネリだから、修学旅行以外の企画をやろうという話になった。そして、何故か「ビデオ作品を作る」というメニューが加えられたのだった。普通に旅行に行くメニューもあったのだが、私は何故かこの「ビデオ作品を作る」を選んだ。
ドキュメンタリー、それも、「噂の東京マガジン」の「噂の現場」風の軽いドキュメンタリーを作りましょう、ということになる。そして、題材に選んだのがドリームランドモノレールだった。丁度復活の話が出始めの頃で、廃線の経緯、色々争点がありそうな雰囲気、いろいろあって、作品が作りやすそうだから、と安易に考えたのだろう。
とりあえず昔の新聞を調べたり、大船から廃線後を歩いて撮影したり、沿線の住民にインタビューしたり(モノレールが軒先に迫っているような家が結構あった)、終点のドリームランドの集合住宅住民に取材したり、横浜市の都市計画課に取材したり。ドリームランドの運営会社には取材を申し込んで、結局断られたが…。良く考えれば、学校も、リアル厨房によくこんなことをやらせたもんだな。当時取材に応じていただいた方、ご迷惑おかけしました。
そんななかで、モノレールをHSST化して復活させよう、という話が、かなり現実性を持って語られていたのだった。パンフレットももらった記憶がある。
それから10年。ドリームランド自体が無くなり、バブルの崩壊やら需要の変動やらで復活計画は無くなり、廃線も徐々に撤去された。HSSTなんて単語は、その後は全く聞かなくなった。今回、はじめての商用化、というのを聞くに及んで、つくば博から20年もかかったのか、となんだか感慨深いような、脱力感のような、未来への希望があるようなないような、不思議な感覚に陥った。
ドリーム開発ドリームランド線 - Wikipedia

ちなみに、「ビデオ作品を作る」という企画は、結局、この年だけで、長続きしなかった。取材先から苦情が来たか、生徒に不満が多かったか、先生が労多くして益少なし、と考えたか。
1986年の三原山の噴火のときに、全島避難中なのに生徒が勝手に取材に行って、警察からこっぴどく叱られたり結構問題になりながらも、「ドキュメンタリーとして、優れている」と、写真レポを学校の論文集に掲載していたからなあ。懲りずにいろいろやる学校であったことだな。

実況(14:56)

9:25羽田発、秋田着10:35予定のANA便、視界不良につき上空旋回するも目処立たず、仙台に12:02着陸。代替交通費11000円也を受取り、バスで仙台駅へ。13:38発のこまち13号は指定満席だがこれ以上遅れるわけにもいかず、乗車。現在、田沢湖線を西進中。秋田駅15:55着予定。本日中の帰宅叶うや?

実況(19:05)

仕事がなんとか済んで帰りは秋田駅発19:05の最終東京行き新幹線かと思いきや、飛行機が復活していることをJALiモードページから確認。タクシーを秋田駅まで急がせて、18:50の空港リムジンバスに余裕で乗れ…ない。バスは東口だがここは西口。必死で走って線路を渡り、バスに駆け込みセーフ。JALの19:55最終羽田行きには乗れそう。

本日のまとめ

朝、羽田空港に到着した時点で「引き返すか、仙台に行く可能性あり」だったので、その時点でよく考えれば良かったんだけどね。結局、飛行機に2時間半、沖縄行き並の搭乗時間であった。
仙台空港は初めてだったんだけど、のんびり見物している暇が無かった。残念。東京に住んでいる限り、行くことも無いだろうな。
仙台駅の切符売り場は大混雑大混乱。仙台から秋田まではこまちなんだが、全車指定で満席だった。まあしかし、なんだかんだで乗ってしまえば座れるものだ。秋田駅からはタクシーで客先まで移動。飛行機欠航の影響もあってか、駅前は大混雑で、車が全く動かずじりじり。タクシーの運転手さんによれば、秋田の予定が花巻空港に着陸した飛行機もあったらしい。仙台より却って不便かもしれない。
結局、客先へは3時間遅れで到着。感触はまあ上々。話のネタにもなったし。
秋田空港に到着した時は、欠航して帰れないんじゃないかと肝を冷やしたが、とにかく帰れることになってよかった。同行の人と地ビールで乾杯。