のんびり休日

呉羽山散策
 朝から曇りである。自家用車は空いているので遠出でもと考えたが、少し疲れがあるようだ。こういう時は無理をせず休養することにした。
 呉羽山で自然観察をする。民族民芸村の西側駐車場に車を停め、夏鳥撮影を目指して五百羅漢から登る。稜線沿いを展望台まで行き、帰りは民族民芸村まで直接向かう道で戻る。1時間ほどである。
 クロヒカゲ(図鑑登録)

 変わったキク科の花を見つけたが図鑑には見当たらないので園芸種ではなかろうか。
 キク科の花(図鑑登録)

 稜線を歩いていると、真っ黒く少し黄色のある鳥が目の前を横切り近くの木に停まった。キビタキであろうと勢い撮影するも、またしても逃してしまった。かろうじて一枚撮ったが鳥かどうかも分からない。

 車にコーヒーを積んでいたので、呉羽丘陵で青空読書である。薫風を受け、鳥のさえずりを聞きながらの読書は時間がゆっくりと流れるようなひと時であった。

■山菜調理
 一昨日採って来た山菜を食べるべく下処理をする。これからテンプラにする予定である。
 ススタケ、ウド、モミジガサ(キノシタ)、ヤブレガサである。

 ウドは葉の部分はテンプラであるが、茎の部分はステック状にして食べる予定である。

■「年をとったら驚いた!」(嵐山光三郎著、新講社、2014年)を読む。
「年をとる、という行為は、年という真珠の玉を手に入れることである。」
「心身ともガックリとくるのが六十五歳なのである。」
「灰色の魂とは何か。老いを愉しみ、ゆっくりと歩き、他人に頼らず、あきらめる力である。」
「すべての老人は冗談を言って生きていけばいい。」
「老後は、わかき時より、月日の早き事、十ばいなれば、一日を十日とし、十日を百日とし、一月を一年とし、吉楽して、あだに日をくらすべからず」(貝原益軒
「どうせ百歳までしか生きられないんだから」
「〜一年中眠っているのだ。眠ることが活力源となっている。」
「〜眠くなるのは年をとったからで、冥界へ行く予行演習とも感じられる。」
「子供は残酷でむごたらしい仕打ちをする。ナマの本能がくすぶっている。人間は、社会システムのなかで、本能を破壊された動物となる。」
「去年今年(こぞことし)」
「年をとると、「新」とつくものに反感を持つようになった。」
「長生きすれば自分の一生の正誤がわかる。」
「新年の抱負〜〜今年も死なずに生きる」
「〜バカであることはその通りなので、ばれたか、と首をひっこめた。」
「バカは梵語の慕何で、悟りに至っていない坊主をいう。転じて無知、愚人のことである。」
「小皿に盛ったごはんを、ひとつぶずつつま楊枝でさして醤油をつけて酒の肴とする。」
「親の七闇・・・貧乏、無学、借金、暴力、夜逃げ、見栄、窃盗」
秋の七草・・・萩、尾花、葛、なでしこ、おみなえし、ふじばかま、ききょう」
「七味唐辛子・・・唐辛子、ごま、陳皮(ちんぴ)、けしの実、菜種、麻の実、さんしょう」
「カメラに頼らず、文字でそれをどう書くか、が勝負となる。」
「すべての場所が真剣勝負だ」(山岡鉄舟
「忘却とは忘れ去ることなり」「忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」
「老人は不機嫌にしていなくてはいけない。」
「〜俳句には「辞世句」はなく、あえていえばすべての句が辞世である〜」
「やっぱり、本は焼くに限るのである。」
「〜あらゆるチャンスをのがさずに眠るようになった。」
「眠りながら考えごとをしているのだ〜」(夏目漱石
■5月8日のコメント記入がやっと終了した。この後は、図鑑調査登録が残っている。