森林インストラクター

■森林インストラクター
 受験動機は、自然のことをもっと知りたいということであった。最初に森林インストラクターのことを知ったのは、50代半ばであった。受験の範囲が素晴らしく、体系的に学べ、合格者は評価されると考えていた。合格するには、事前講習会を受講するのがいいようだ。そこで、日程を調べると土曜日、日曜日、月曜日と平日に渡ることが分かり、定年後だなあと一時諦めていた。
 そして、50代後半に自然解説員の認定を受けたが、どうも自分が考えていたのとは違い、解説場所でのみ活動することが分かった。しかも、植物の名前すらまともに覚えられず、それを自分の努力不足とされることも分かった。そして、断片的に知識を増やす以外にないと判断し解説活動の意欲は減衰した。自己流で断片的な知識の積み重ねでは何年たっても理解できないということは、長年の職業生活でいやというほど分かっていた。
 やはり、それぞれの専門分野で一流の識者による体系的な講義とハードルの高い試験を経て評価されるのが本当で、会計や法律の分野を始め、どの業界でもかなり困難な試験を経て活動が許される。なぜ、自然関係は、昨日までの素人に10回ほどの研修を施して活動が許されるのだろう。
 定年後、少し落ち着いたのでこの試験に挑戦することにした。
 まずは、講習会への申込である。これを受講すると二次試験の中の実地試験が免除されるとあった。
 講習会は3回に分けられ、全部で8日間である。一か月前から高速バスの予約と宿泊場所の確保で予定表と首ったけであった。
 講習会の内容は範囲が広く深い。4科目で各単元ごとに先生が変わる。その範囲はこうなっている。
1. 森林・・・森林の生態、樹木、森林の観察、森林の植物、森林の動物(哺乳類)、森林の昆虫、森林と鳥、きのこ、森林土壌と土壌の保水機能、森林の法令
2. 森林内の野外活動・・・野外活動概論とその指導法、野外活動の基礎技術・キャンピング、ネイチャークラフト、野外ゲーム
3. 林業・・・山村と農林業、森林の効用、森林の育成と管理、森林の保全(治山・林道)、木材の利用、特用林産物
4. 安全及び教育・・・山の安全、救命手当・応急手当、森林と人間と自然保護、森の民俗学、人を引き付ける話法、企画の立て方
一例で示すと、最初の森林の生態では、厚さ3cmほどの森林生態学を参考書として紹介された。この内容がテキストでは20ページほどにまとめられている。
受講時点では、樹木の名前や構造が少し分かる程度であった。
講習会後、その攻略法に大いに悩んだ。講習会の受講者は全国から集まっており、
20代〜70代と全世代であり、若い方も多かった。
 この試験は科目合格制度を採用しており、合格体験記を読んでも数年かけて合格されている人が多そうだ。しかし、自分の今の年齢や体の調子を考えるとその猶予は残されてないと考えていた。一年で全科目合格する方法を考える日々が続いた。
 学生時代であれば、テキストをまとめたサブノートを作るのが定石であったろうが、テキスト自体がまとめられているものであること、あるいは抜粋されている内容であると感じていた。そうなると、全部理解しなければならない。少し読んで見たが直ぐに眠くなってしまう。
 こういう手に負えない試験に対しては、がんばったとか、努力したとか、一生懸命やったとかの程度では歯が立たないことが分かり、狂気が必要だと感じた。狂ったように勉強したという比喩が入るようでは駄目で、真に狂うことが求められていると感じた。
 最初にやったことは、カードに5年間分の過去問の問題と解答を書き写したことであった。これで分かったことは、300字以内での説明を求める論述式問題が多い事、穴埋めでも選択する語群が無く、記述式と同じではないかと思ったこと、もちろん語群選択の穴埋めも○×もある。
 そして、同じ問題は出ないようだということであった。しかし、出題しそうなところを重点的に勉強するという、いわゆる山掛けはしないことにした。そして、サブノートも作らないことにした。テキストを読むが小説を読むような読み方では頭に残りにくく、定規をずらしながら一行一行精読する。そして、全部読み終えたら過去問を解く。最初は過去問の問題を読んで直ぐに回答を読むという状態が続いた。
 いつ勉強するかは考えなくても良かった。いつでもやるのである。学習時間として考えていたのは、朝起床後朝食までの間、家人を職場に送り届けた後、昼までの時間、昼を食べてから、家人を迎えに行くまでの時間、夕飯後寝るまでの時間と大きく4回とした。
 朝5時ごろ起きる。「カ〜ン」と第一ラウンドが始まる。朝は良く理解できる。家人を職場に送り届けてからは、コーヒーショプに入り第二ラウンドである。最低2時間を目指す。帰宅して昼食を作り食べてからしばらく昼寝をする。そして、家人を迎えに行く前にコーヒーショップかファーストフード店で第三ラウンドである。ここも2時間以上を狙う。夕飯後、ひと段落して寝るまでの第四ラウンドが始まる。これを4カ月間続けるため、夜更かしなどはせず、規則正しい生活を心がける。
 テキストを読んで満足のいく状態とは、小見出しを見ればその内容がすらすらと出て来ることだと考えこれを目指した。
 ここで犠牲にしなければならないのは、読書、野鳥観察、ブログ更新であった。一生の中で4カ月なのでこれらはしないことにした。ブログ更新は頻度を落とした。登山の頻度も落とした。しかし、世の中は非情である。こういう時期に家計調査などの新しいことが入りこむ。
 新しいことが増えたのは思ったほどブレーキにはならなかった。ブレーキはいくつかある。一番多かったのは、宝くじを買ったとたん当たったこと考えるように、テキストを読むと既に自分が合格してその活動をしているかのような妄想が襲い掛かって来た。こういう状態では目はテキストを追っているが、頭は別の事を考えているので無為な時間が費やされるのみであった。妄想とイメージトレーニングとの違いは何だろう。物理的には、足のしびれである。立ってもまっすぐ歩けない状態になった。そして、2時間も取り組むと、目がしょぼしょぼ、頭はぼ〜ッとし、視線は定まらず、物事に集中できず夢遊病者のような状態で車を運転することになった。肝心なのは勉強時間の長さではなく、理解の深さである。毎回、ぼ〜ッとしていた。鏡を見たら、これが自分かと疑いたくなることが多かった。というか、常にそうであった。
 眠気との闘いもあった。コーヒーショップで30分ほど眠ってしまったことも一度や二度ではない。何回か繰り返していると、頭の中がテキストの内容で埋め尽くされる。そして、自分の分からない内容やテキストだけでは理解できない内容が見えてくる。
 こういう場合は、資料を作るのである。例えば、ネマガリタケとスズタケの違いを記述せよという問題があると、それぞれの部位についての特徴をまとめなければならない。樹木ついても、図鑑を見ながら、場所、樹皮の状態、葉の特徴、果実の特徴など111種について、図鑑の記述を写した。例えばサワシバ、クマシデ、イヌシデ、アカシデの違いが一目で分かるような資料にした。しかし、ここで問題が起きた。ツガとコメツガをまとめている時に、テキストの内容と図鑑の内容が正反対の記述になっていることが分かった。そこで、勇気がいったが、講義をしていただいた大学の先生にメールを出してうかがったところ、ラテン語の意味から始まった大変丁寧な返事が届いた。その結果、テキストの内容が正しいことが分かり、私の持っている図鑑は初心者用であったことを実感した。3冊で1万円以上したのだが・・・。
 一か月など直ぐに経ってしまう。一番大変だった科目が森の民俗学であった。テキストはパワーポイントの内容だけである。この科目は毎年300字以内で説明する問題が出されている。先生の話す内容を記録していないので、単なる項目の羅列では論述できない。
 図書館で参考文献に掲げてある本を数冊ほど借りて、拾い読みして書き写す。ネットで項目を検索してその記述を写すなどをやった。
 今年の夏は暑かった。エアコンは24時間稼働であったが、自宅では眠ってしまう。そこで、お金はかかるがコーヒーショップなどでテキストと格闘することになる。8月末時点で過去問での正解率は5割ほどであった。もう一カ月しかない。最後の追い込みとなろうが、どうしたことか体が受け付けない。もう何度も読み返しており、つい拾い読みになってしまう。そして、また新たな問題にぶち当たった。漢字が書けないのである。それなら、ひらがなで書けばいいだろうにと考えたが、読めないのである。読めない漢字はひらがなでも書けない。読めない漢字として神籬・・・・、書きにくい漢字として水源涵養、幹満通直優良材、殻斗、哺乳類・・・・と切りがない。そこで、漢字の練習に数日費やす。
 9月になってそろそろモチベーションが低下してくる。この試験が人生最後の試験だ、と言い聞かせたが体がいうことを聞かない。一週間前になっても登山をしている。自分の中では、もう拒否反応が出始めていた。結局、直前の数日はテキストも開かず試験にのぞむ。
 そして、オリンピックは参加することに意義があるとか、物事は結果よりもプロセスが大事だなどと、とんでもない考えが浮かんでは消える。負け犬の論理である。試験は結果だけが大事である、という気持ちがだんだんと萎えて来る。
 東京会場は200名ほどであった。全国何か所かで開かれて1500名ほどの受験と確認していた。4科目受験者は前の方に集められている。講習会で一緒の方ばかりである。しかし、空席が1割ほどもある。一時限は、林業であった。一問目から書けない。数字の意味を思い出せない。そこで、論述式は後回しで、多岐選択や○×問題から解いていく。論述式は時間が無くなり全部埋めることができなかった。
 疲れがひどい。2時限目で空席の方が入られて知人との話で受験するつもりで申し込んだが、勉強しているうちに無理だと考えパスしたという。その気持ちはよくわかるが、若い人がうらやましかった。
 どうも解いていても、実感がない。森林の問題で、葉柄が長い植物を選べというのがあったが、長い短いは相対的な概念であろうと腹も立ってきた。論述式では、テキストの内容を思い出すことはなくキーワードを散りばめることもできなくて自分の考えを書いてしまった。こういうパターンはダメであろう。もう、一点でも多くという意識は無くなって早く終わって欲しいという感覚になっていた。最初にあれほど情熱を傾けたにも関わらずである。自分ながら情けない。まあ、現実は素直に受け入れよう。
 そして、試験が終わっても何の感動もない。終わって良かったとも思わない。あれほど多くの金額を投入したにも関わらずである。そしてこの無感動は、狂人から普通の人間に戻る過程であったのかもしれないと思ったりした。
試験後は、その反動であろうかダラダラとして日々が続いた。
 そして、今日を迎えた。

 この試験に一発で合格する方法は間違っていなかったということが検証できたことがよかったが、人に勧める勇気はない。
 しかし、不思議だ。合格しても心の底からこみあげるものがない。もう一人の自分が、少しは喜んだらどうかと勧めるものの、ああそうかという程度である。
 これを少し分析すると、二次試験があるからだろうと思っている。二次試験は、実技試験と面接であるが、自分は講習会を受講しているので実技試験は免除である。面接も、自己紹介、受験動機、今後の予定を答えるだけで、これで落ちたとは聞いたことがない。
 今後の予定は今から考えることになるが、思い付きであるが塾を開催して受験講座を開くことが頭をよぎった。但し、入塾条件は、勤めている方は、退職あるいは休職すること、家庭崩壊の可能性があること、精神面に異常をきたすことがあることを了解した人に限る、などとつまらないことが頭に出て来る。
さあ、ここからが新たなスタートである。