Frank Borzage

『幸運の星』

最初、ジャネット・ゲイナーに良く似た子役が演じていて、戦争を経て、数年後とかテロップが出たらゲイナーが登場するのかなってなんとなく思っていたのに、実はそれはゲイナー本人だったと途中で気付く。それならば、『幸運の星』の制作年は23〜24年頃で、ゲイナーには子役時代があったのかと思って後で確認したら、この映画の制作年はむしろ『サンライズ』よりも後であったことが判明し尚更驚く。それもこれも1927年制作の『サンライズ』のゲイナーにはむしろ、「童顔の30歳」というようなイメージを持っていたからなのだけど、1906年生まれのゲイナーはこの頃まだ21歳ということなのでとんでもない誤りだった。『幸運の星』は1929年の映画だからゲイナーが23歳の頃の映画ということになるが、役柄では18歳ということである。こんな勘違いを起こしたのは、わたしが映画史的な常識をあんまり把握していないってこともあるだろうけど、何より、ゲイナーの背がとにかく低いせいだと思う。IMDbで確認したらやっぱり152cmしかないと判った。相手役の男優と並んだら、肩の高さにも達しないので、子供に見えても不思議ではないだろう(というかこの役柄だと誰が見ても子供にしか見えないと思う)。
背が低いからか、ゲイナーをめぐる最も感動的なアクションのひとつは、相手役に、ひょいと軽々しく持ち上げられて、天使のような軽やかさを露わにするところだ。チャールズ・ファレルとグィン・ウィリアムスとがそれぞれの仕様で彼女を持ちあげる様が、彼女をどう扱っているかを雄弁に語っている。また、もうひとつの美しいアクション―彼女のとっておきの動作は自分で自分を放り投げるようにして、相手の胸ではなく、その足にしがみ付く捨て身の動作であり、雪降りしきる中の決死の投擲はこの映画のタイトルが『幸運の星』であることを思い起こさせてくれる。


チャールズ・ファレルジャネット・ゲイナーの埃まみれの髪の毛を卵で(!)ごしごし磨いて、綺麗に水ですべて洗い流したら、目一杯の幸福な後光を身に纏った、輝かしい髪の毛が現れて、それを見たファレルが「なんだ、ブロンドじゃないか!」って叫ぶところが大好き。

『リリオム』

主人公が死んで、一日だけ地上に戻ることができるという話だけど、死ぬまでが長い。ラングの『リリオム』(傑作)もこんなに長かったっけ?チャールズ・ファレルの声が想像していたよりかなり高くって、トーキー初期の観客が味わったであろう驚きを禁じえなかった。どうしてもこの声じゃドラマチックにならない。
小間使いのヒロイン(グレタ・ガルボキム・ノヴァクを混ぜたような顔のローズ・ホバート)は、毎週来るカーペンターの誘いを断り、同僚と遊園地に行く。遊園地のメリー・ゴー・ラウンドの呼び込みをやっているファレルと恋に落ちデートして、一緒に生活し始めるが、このファレルがろくでなしの甲斐性なしで(だから彼の声は合っているといえば妙に合っている)、ホバートと彼女の宿した赤ちゃんと一緒にアメリカに行くため、悪友の強盗計画に乗ってしまうがあえなく失敗、挙句の果てにキッチンナイフで自害してしまう。哀しむ妻の傍らであの世から列車がやってきて彼の魂を運び去り、天使が彼に、条件付きで地上に1日戻るチャンスを与える。という考えてみればかなり変なはなし。毎週、「遊園地に行きませんか」って誘いに来るカーペンターからしてかなり変だ。火を噴いて走る灼熱列車に10年間乗って魂を浄化したら、地上に1日戻れるっていう話も怪しげだが、この列車のデザインもなんか変で、あれだけ暗かった前半と同じ映画を見ているとは思えなかったけど、このあの世の部分が1番好きだ。

『街の天使』

ボーゼージの恋人たちは、戦争や貧苦といった厳しい状況、ときには『リリオム』のように死に引き裂かれても、その別離に耐えて見せる。『街の天使』も恋人たちが、口笛で共鳴し、絵を通して尊敬しあい、瞳のグラデーションに宿した強靭な意志で、すべてを悟り、決して短くない別離を乗り超える映画。

第七天国』の1年後、『幸運の星』の前年の1928年制作。『第七天国』でも背の低いゲイナーを持ちあげるアクションと、自己投擲で足にしがみつくアクションがあったが、この『街の天使』ではこれらのアクションが一段と顕著。

母親のために身を売ろうとしたうえ酒場で金を盗み実刑判決を受けたもののサーカス団に助けられ逃亡したゲイナーが旅回りの画家ファレルと出会い恋に落ちる。サーカス団でのゲイナーの仕事は、怪力の男にひょいと手の平にリフトされてそのうえで可憐なポーズを取って見せることであることからもゲイナーの身のこなしをボーゼージが熟知していることがうかがわれる(サークの『思ひ出の曲』だったと思うが、ヒロインが高台でブランコをするシーンがあって、彼女がなんでブランコを嬉しそうに漕いでいたかはさっぱり覚えていないが空の様子とか、遠景の美しさとか、慎ましい生の幸福を描きだしたシーンで、それと似たような印象を受ける)。

怪力の男でなく、ボーリングのピンに乗せた台の上でバランスをとっている最中に折悪く警察が来て、慌てたゲイナーは地上に真っ逆さまに落ちる。だが、落ちたら落ちたで直ちにファレルにひょいと持ち上げられて、運んでもらうことができる。


小さいので破れた太鼓のなかにも隠れられる


足の治療のため街に戻った2人は、共に生活を始める。けれども幸福を掴みかけたそのときに、警察に見つかり2人は引き裂かれる。清廉潔癖な恋人に身を売ろうとしたことがあることを告げたくないがために、恋人に行き先を知らせないまま服役する。ゲイナーはこのときも、別れを惜しんでファレルの足に身を投げる。

出所したゲイナーが疲れ果てあてどなく路上を彷徨っていると、こちらは「天使の顔をした悪女」を探すため、客引きをする娼婦という娼婦の顔をチェックして歩く狂者のようなファレルと出くわす。彼が灯したマッチの火に、ファレルとついに出会うことができたことに顔を輝かせたゲイナーが照らされる。ところが、捨てられたと勘違いしているファレルの眼が怨恨に燃えているのを見て、ゲイナーははっとして身を後方に投げ出す(『サンライズ』の湖上のシーンとイメージが重なる)。愛するにしろ逃げるにしろやはり命がけのダイビングはゲイナーの生命線なのだ。その後『吸血鬼ノスフェラトゥ』のノスフェラトゥのような不気味さで迫るファレルから礼拝堂に逃れ、祭壇の下で2人はふたたび対峙するが、そこでもやはり映画のラストを飾る決死のダイビングが用意されている。



サンライズジャネット・ゲイナー