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クリート・ボイヤー

(スポーツ)
くりーとぼいやー

Cletis(Clete) Leroy Boyer

プロ野球選手・指導者。
右投右打、ポジションは三塁手。背番号は4→6番。


1937年2月9日生まれ。米国ミズーリ州出身。

6人兄弟が全員プロ入り、クリートと長兄クロイド・ボイヤー、次兄ケン・ボイヤーの3人がメジャーリーガー。
1955年、カンザスシティ・アスレチックスに入団。

1958年、ニューヨーク・ヤンキースに移籍。ミッキー・マントルに才能を見出され、背番号6番を着用することを勧められる。

守備の名手として1960年代のヤンキース黄金時代を支えた。

1967年、アトランタ・ブレーブスに移籍。
1971年、首脳陣と対立し退団。
実働16年間で通算1725試合出場。通算1396安打、162本塁打、645打点を記録。オールスターゲーム出場3回。


1972年、独立リーグのハワイ・アイランダースでプレー。その際大洋ホエールズの牛込惟浩スカウトに声をかけられ、チームメイトのジョン・シピンとともに入団。


選手としての活躍はもちろん、高木由一をチームに残すように説得、後釜として田代富雄を抜擢したり、新人の山下大輔に指導するなどコーチ業も兼任していた。

1975年、現役引退。

1976年、守備コーチに就任。指導力が買われ監督の話もあったが、条件面で折り合わず退団し帰国。


その後、ブレーブスのマイナーリーグコーチ、オークランド・アスレチックスの三塁ベースコーチを務める。

1992年、ヤンキースの三塁ベースコーチに就任。1994年は監督に次ぐNO2の立場のダッグアウトコーチに。

2007年6月4日、脳内出血のためアトランタの病院で逝去。


ホエールズ史上屈指の優良外国人選手に数えられる。

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