熊沢寛道(1889〜1966)愛知県生まれ。 南朝第118代大延天皇(勝手に即位?)。 南朝、後亀山天皇の血を引く正当な皇位継承者(自称)。この主張は英米紙誌などで広く紹介された。 1951年には、現天皇(昭和天皇)は天皇として不適格であると裁判を起こすが「天皇は裁判権に服さない」と却下される。 以後も主張の正当性を訴え続けた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%86%8A%E6%B2%A2%E5%AF%9B%E9%81%93 http://www.ffortune.net/social/history/nihon-today/kumazawa-tenno.htm 呉智英「サルの正義」 熊沢天皇と不敬
( 終戦直後の1945年(昭和20年) 「真の天皇は自分である」と名乗り出た人がいます。熊沢天皇です。 (我こそは熊沢天皇) 太平洋戦争で負け、日本が史上初めて外国に占領されると世の中は混乱します。・・と同時に民主主義の世の中になり、自由に物が言えるようになりました。さらに天皇など皇室に対する不敬罪が廃止されたことなどから、「我こそが南朝の末裔で正統な皇位継承者である」と自称する人間が現れました。名古屋で雑貨商を営んでいた熊沢寛道、通称・熊沢天皇です。 どう見ても、その辺にいるおっさんにしか見えませんが、熊沢寛道氏は「俺は天皇の子孫であり、しかも正当な南朝の流れを組むのだ、だから本当は私が本当…
序文・自称天皇 堀口尚次 熊沢寛道(ひろみち)〈明治22年 - 昭和41年〉は日本の皇位僭称(せんしょう)〈本人の身分を越えた地位称号を名乗ること〉者。熊沢天皇の呼称で知られる。戦前は皇位や皇族を僭称することは不敬罪として処罰対象であったが、GHQ体制下で取締りが弱くなった戦後の一時期、皇位継承者を自称する者たちが各地に出現し、世間の耳目(じもく)を集めた。熊沢はこれら「自称天皇」の代表的存在である。 熊沢の主張によれば、熊沢家は熊野宮信雅王に始まる家で、信雅王は応仁の乱の際に「西陣南帝(にしじんのなんてい)」と呼ばれた人物だとし、その父は南朝の後亀山天皇の孫とされる尊雅王〈南天皇〉であるとす…
福田元昭の「桜の木になろう」さんのサイトより転載http://ab5730.blog.fc2.com/blog-entry-9036.html (1)男優メルギブソン氏が、ウクライナを含む国々の世界的な児童性的人身売買市場について、4部構成のドキュメンタリー番組を340億ドル賭けて制作している! {7761.レプティリアンの悪事と闘い続けたトランプは大統領の座から引き摺り下ろされた PART2}と{8188.私達が恐れてるのはゼレンスキーの独裁政権なのです!}などの続きです。最近UPされた記事の多くがいいね0の状況です。拡散の為にご協力賜れれば幸いです。 [http:// 速報: 男優メルギブ…
久々の日本史でどマイナーな話題ですが、不思議書庫に入れたほうが良いかもしれません。 皆さんは後南朝という名称を聞いたことがありますか?おそらく学校の歴史教育ではほとんど出ないので知らない方が多いと思います。1392年室町幕府三代将軍足利義満の斡旋により対立していた南北朝が合一しました。その時の約束では今後北朝と南朝の天皇が交互に即位するという話だったそうですが、どうも義満は北朝側に説明していなかったらしく(あるいは南朝を騙すつもりで)、北朝の後小松天皇の後に息子の称光天皇が即位、以後も北朝が天皇位を独占し現在に至っています。 南朝側は約束が違うではないかと怒り、南朝後亀山天皇の孫(あるいは曾孫…
「主権国家=国体保全に十分な機動力と火力を備えた常備軍を中央集権的徴税によって養うシステム」の次に来るもの?