徳富蘇峰(1863 - 1957) 徳富猪一郎少年(以下蘇峰)は熊本洋学校へ二度入学している。 藩校時習館はあまりに古臭い訓詁の学に滞った、学校党の巣窟だった。徳富家は横井小楠を学祖と仰ぐ実学党の家だ。父一敬は、小楠暗殺(明治2年)されて以後の、熊本における実学党有力者にして、県庁を切り回す数人のうちの一人だった。 この師ならばという漢学者・儒者の塾へ、蘇峰は通った。道のりが遠いというので、師の家の住込み内弟子だった時期もある。 実学党とは、端的に申せば和魂洋才の学派である。小楠みずからも、フルベッキの伝手を頼みに、二人の甥をアメリカへ渡航させ、海軍兵学校に学ばせようとした。伯父の意向に反して…