明治22(1889)年10月18日、当時外務大臣であった大隈重信の条約改正案に反対した玄洋社元社員の来島恒喜は、爆裂弾により、馬車上の大隈を襲撃、右足切断の大怪我を負わせました。 これが大隈重信遭難事件です。 136年前の今日です。 www.archives.go.jp 大隈は一命をとりとめたものの、右脚を大腿下3分の1で切断することとなりました。 大隈の右足の義足は佐賀県佐賀市大隈記念館に保存されています。 ■大隈重信遭難事件■ 1889年(明治22年)10月18日、玄洋社員だった来島恒喜が、この外国人の任用を内容とする条約案に対する抵抗を目的に、この交渉を外務大臣として推進していた大隈重信…