万延元年(1860年)〜昭和20年(1945年)。
本名は雄二郎。近代日本を代表するジャーナリスト。
社会問題で強い関心を持ち、明治17年には「自由新聞」記者として「秩父事件」を視察、のちには「足尾鉱毒事件」に関り、37年には日露戦争を観戦。明治21年(1888)には政教社の設立に参加、雑誌『日本人』を創刊して、政府の専制主義と欧化主義に批判的立場を取った。
その後、雪嶺は夥しい人生論を書き始めると共に、度々講演にも立つ。雪嶺は儒教、仏教を主とする東洋哲学を、西洋哲学と並ぶものとして位置づけ、東西両哲学の拮抗と総合とを目指した。
『日本仏教史』『哲学涓滴』『論理学』『真善美日本人』『偽悪醜日本人』『我観小景』『王陽明』『宇宙』『明治思想小史』『想痕』『同時代史』等。