源義経

源義経

(社会)
みなもとのよしつね

源義朝の九男(八男説もあり)。母は常盤御前。幼名は牛若丸。
検非違使・左衛門少尉・伊予守。九郎判官と呼ばれる。
幼少時は鞍馬寺に預けられるが、のちに抜けだして奥州の藤原秀衡の庇護を受けた。
治承四年(1180)、兄源頼朝の挙兵を知ると秀衡の制止を振り切って参陣。その後、頼朝の代官として出陣し、木曽義仲討伐の宇治川の戦い、平家討伐の一ノ谷の戦い屋島の戦いに勝利。さらに壇ノ浦の戦いで平家を滅ぼした。
しかし、鎌倉凱旋を許されず京に戻った義経は打倒頼朝の挙兵をするも兵が集まらず都落ち。逃避行の末に藤原秀衡を頼って奥州へ赴く。秀衡が亡くなるとその子藤原泰衡が頼朝の要求に屈し、泰衡の手勢に攻撃された義経は自害した。

義経伝説

歴史上は「自害した」ことになっている義経だが、蝦夷地(北海道)に逃れた説、蝦夷地からさらに中国大陸に渡ってチンギス・ハーンになった、という伝説も、のちに生まれた。

源義経

(テレビ)
みなもとのよしつね

4作目のNHK大河ドラマ(1966年放送)

主演は、尾上菊之助(現・7代目尾上菊五郎)。
藤純子(のちの富司純子)が静御前を演じ、尾上菊之助は、これがきっかけで1973年結婚した。

また、このときの総集編が現存しており、ビデオやDVD化されてる。

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