明治20(1887)年。 この頃若者の間では小説が流行の兆しをみせていました。 近代文学の夜明けです。 この時期に「平民主義」を唱える徳富蘇峰は、『将来之日本』が好調で、花形の言論人でした。 『同志社文学雑誌』には弟の徳富蘆花の小説も載せ、兄弟で文才に優れていたことがわかります。 徳富蘇峰は民友社にて日本発の総合雑誌『国民之友』を創刊し、明治のジャーナリズムを牽引する存在へと成長します。 徳富蘇峰が同志社時代に、新島襄に大きく影響を受けたのは有名です。 『将来乃日本』の序文を新島襄に依頼していますが、明治20年2月2日付の手紙で、新島襄は種々の事情を説明して婉曲に断りを述べています。 参考文献…