1868年(戊辰)1月から1869年5月まで行われた、「明治維新」における日本の内戦。 明治新政府が旧幕府勢力を「討伐」し、政権の正統性を内外に喧伝するために行われた。 鳥羽・伏見の戦い(京都)に始まり、江戸無血開城、彰義隊討伐(上野戦争)、奥羽越列藩同盟の成立と東北戦争などを経て、箱館戦争における榎本武揚の降伏によって終了した。
今日、東京は3日連続の猛暑日。そして、梅雨明けが発表されました。過去最も早い梅雨明けで、昨年の梅雨明けが7月16日だったことを考えると異例の早さです!電力不足に合わせて、水不足にも注意を払っていかないとですね。限りある資源を大切に! さて、前記事からの続き、東北ツアーその4 最終回でございます。会津に来たら絶対に寄りたいと思っていた会津鶴ヶ城天守閣。ようやく念願が叶いました。 鶴ヶ城は慶応4年(1868年)の戊辰戦争の白虎隊で知られていますが、天守閣を含めてすべてが取り壊されたのは明治7年(1874年)なのですね。で、今回訪れた鶴ヶ城天守閣は1965年(昭和40年)に再建されたお城です。5層か…
コロナ禍の影響などで公開が3度も延期された映画『峠 最後のサムライ』が公開された。原作は司馬遼太郎(1923~96)の同名小説で、主人公は役所広司さんが演じる越後(新潟県)長岡藩の家老、河井継之助(1827~68)。戊辰ぼしん 戦争のなかでも最大の激戦とされる北越戦争で、数に勝る新政府軍をさんざん苦しめた幕末の風雲児だ。映画を観たうえで、継之助の決断について考えてみた。 読売新聞オンラインのコラム本文 ↑読売新聞オンラインに読者登録すると全文お読みになれます 非戦から開戦に…藩内は一枚岩ではなかった 藩政改革で戦力を過信? 継之助は名将ではなく能吏だった 職業訓練や格差是正…いまでも通用する経…
福島県内有数の観光地である会津若松市にある史跡の多くは、幕末から戊辰戦争にゆかりがあります。佐幕に徹したがゆえに、賊軍の汚名をきせられた会津藩の悲しく、つらい歴史を物語るものばかりです。 2013年に新島八重を主人公にした大河ドラマ「八重の桜」が放送されました。ただ会津に住む方々は、幕末維新に活躍した会津の女性というと、新島八重よりも中野竹子を挙げる人が多いそうです。竹子の生き様と死に様が鮮烈だったからでしょう。 竹子は戊辰戦争の際に「娘子隊」という女性の軍隊を率い、新政府軍と戦いました。なぎなたを振るって応戦しましたが、銃弾に倒れてしまいます。死に恥をさらしたくないと、妹に介錯するよう言いつ…
憎悪は続く。 怨みは消えない。 復讐は永久に快事であろう。 幕末維新の騒擾がどういう性質のものだったかは、東征の軍旅が関ヶ原を通過した際、薩摩藩士の発揮したはしゃぎっぷりによくわかる。 「いよいよ二百余年前の仇討ができる」と喜び勇み、一行の中でも河島醇に至っては、ご照覧あれとその場で大きく四股を踏み、先祖の霊を地面の下から呼び起こし、文字通り雀踊りしたほどである。 後の立憲自由党幹事、衆議院議員の若かりし日の姿であった。 (Wikipediaより、河島醇) ことほど左様に、明治維新は関ヶ原の敗者にとって、三百年来待ち望んだお礼参りの好機であった。 秋田藩はなにゆえに、奥羽越列藩同盟からいち早く…
近藤勇を主人公として描き、熱烈なファンを獲得した2004年大河ドラマ『新選組!』 近藤勇の死で終わった大河ドラマのいわば「続編」として、その盟友である土方歳三にとっての新政府軍との戦いの結末を、三谷幸喜氏がオリジナルで描いたのが『新鮮組‼ 土方歳三 最期の一日』です。 2006年1月3日の放送でした。 佐幕に生き佐幕に殉じた”最後の武士”、土方歳三。 しかし土方は巷間言われているような時代に取り残された旧体制の男ではなく、戊辰戦争のプロセスで銃と大砲を主力とする近代戦法を吸収した、フランスの軍人も賞讃する天性の軍人でした。 『鎌倉殿の13人』が放送するのに先駆けて、今年1月4日の深夜に『新鮮組…
夫と次男のかねてからの希望で靖国神社へ行ってきました。 靖国神社は東京都千代田区九段下にある神社です。 明治2年(1869年)に戊辰戦争、明治維新のころの戦没者を慰霊、顕彰するために明治天皇の勅令により創建され、国家のために殉難した人の霊246万6千余柱を祀るそうです。 私も日本人ですし一度は行ってみたいと思っていました。 感想としては、非常に興味深く拝見できました。 不謹慎になりますので表現が難しいですが、行って良かったと思います。 遊就館という展示施設があるのですが、一階は写真撮影できるので、何枚か写真に納めました。 二階の方は有料で廻るのにちゃんと観ると、1時間半から2時間ほどかかるくら…
もとじろうです。 会津若松の旅、3日目は修学旅行でも訪れた飯盛山へ行ってきました。 約20年ぶりだったのですが、変わらない風景に懐かしい思いがしましたね。 飯盛山(いいもりやま)は、戊辰戦争時に白虎隊という主に16、17歳の少年で組まれた隊が自刃した場所として知られています。 仙台の小学生たちは大体、鶴ヶ城とこの飯盛山を訪れると思います。 飯盛山 会津若松駅から周回バスのあかべえに乗って来ました。 写真は飯盛山とあかべえ。白虎隊の墓は、山の中腹にあります。 こちらが入口。常夜灯のあいだを入っていきます。 うおおお、雪やばい!! ここを行くのか…。と、一瞬ひるんでしまいました。 それと小学生のと…
戊辰戦争について、以前ブログにしました。 www.betty0918.biz 今日はその続編。 箱館戦争で自決を思いとどまった榎本武揚のその後について語らせてください。 目次 榎本武揚、自決の覚悟 投獄 北海道開拓 仙台伊達藩 東北の侍たち まとめ 榎本武揚、自決の覚悟 榎本武揚は、箱館戦争で敗戦を覚悟し、オランダ留学時代から肌身離さず持っていた海自国際法の解説書『万国海律全書』を新政府軍の黒田清隆に託します。将来日本が外国と交渉する際に役立ててほしいと思ったのです。 そして自決のための短刀を手にした時、その短刀を部下に素手で掴まれ、自決を思いとどまるよう説得されました。 明治2(1869)年…
前編の続き。岩手県立博物館のテーマ展示室へ向かう。 kotatusima.hatenablog.com ・「教科書と違う岩手の歴史ー岩手の弥生~古墳時代ー」の概要 今回、博物館にわざわざ来たのはテーマ展「教科書と違う岩手の歴史ー岩手の弥生~古墳時代ー」を見たいがためだった。 チラシには銅鐸や鉾、北海道島と北東北の地図の形に切り取られた稲の写真があしらわれ、背景は稲作を行う大規模集落のイラストになっている。展示を見た後だとこれらのモチーフの重要さが分かる。 この展示では、縄文時代のあと飛鳥~奈良時代に蝦夷(えみし)として岩手が日本史に「再登場」するまでの間、弥生~古墳時代の「空白期間」の歴史はど…
こんにちは、四十雀です。 ネット記事を見ていたところ、ご訃報の記事があるのを見つけました。 kahoku.news 東北地方・・・と言うより、やはり福島県を中心に活躍されておりました星亮一さんが他界されたという報です。 いやぁ・・・星亮一さんの著書、特に郷土史や歴史をテーマにした本が多いのですが、なかなか面白い視点から書かれていたこととその内容の良さに愛読しておりました。 私も星亮一さんのような、いや、どちらかと言うと在野の郷土史家になりたいな・・・なんて憧れていますが、しかしながら学歴コンプレックスをこじらせていることと、他にやること(主に遊び)が多く、なかなかそうはいきません・・・。 それ…
「カムイの剣」を観た。昔の映画故の表現の古さは多少感じますが、活劇の面白さは変わりません。蝦夷の忍びの話に始まり、アメリカ大陸に舞台を移し、キャプテン・キッドの隠し財宝、果ては戊辰戦争へと続く話が面白くないわけがありません。角川映画のアニメとしても幻魔大戦と並ぶ傑作かもしれません。#白猫独りロードショー THE DAGGER OF KAMUI open.spotify.com youtu.be ikuzuss.hatenablog.com ikuzuss.hatenablog.com ikuzuss.hatenablog.com ikuzuss.hatenablog.com ikuzuss.h…
安倍晋三元首相の国葬にわたしが反対であることは、何度かこのブログで表明しています。理由は①法令に規定がない国葬を内閣府設置法に基づき閣議決定で実施できるとするのは拡大解釈が行き過ぎており、法治を逸脱している②全額国費で賄うことは弔意の強制を意味し憲法違反の疑いが極めて強い③憲法や国会を軽視した安倍政治は社会に分断の深刻化を残しており、国を挙げての葬儀の対象にはふさわしくない―などです。国葬を巡って、もう一つ、気になっていることがあります。「神格化」です。法治の逸脱や違憲の疑い、安倍政治の負の遺産をいわば「理」の問題とするなら、「情」の問題と言えるかもしれません。近代日本の国葬の歴史的系譜をさか…
赤穂浪士の創設は新選組の160年前だったことを知った男、コピでございます。お読み頂き、有難うございます。 僕は歴史が苦手(嫌い)です😱 www.copinoheya.com 赤穂浪士と新選組は、同じ時代の団体だと思っていました。これ、マジです・・・。歴史が苦手な人にありがちじゃないですか?●●と▲▲が同じ時代なのかどうか分からない、って。 ひょっとすると、ですよ、僕と同じレベルで歴史を苦手にしている人がいるかも。そのような人の為だけに、ド素人にうぶ毛が生えた僕が歴史を説明しよう!というのが今日の企画です。今の僕は「歴史って何だか知らないけど嫌い!」という人の気持ちが理解できます。その気持ちがあ…
この『新選組!! 土方歳三 最期の一日』は大河ドラマ『新選組!』があまりの人気故に(俺調べ)作られた異例の続編である! 近藤勇が主人公だったから尺が足りなかった訳じゃないぜ?? とりあえず今までの総集編の感想 第1回 【感想】新選組!スペシャル(1)武士になる! - 袴ブーツで日本一周 第2回 【感想】新選組!スペシャル(2) 新選組誕生 - 袴ブーツで古民家ぐらし(仮) 第3回 【感想】新選組!スペシャル(3)愛しき友よ - 袴ブーツで古民家ぐらし(仮) www.nhk.jp これを作るにあたって榎本武揚が片岡愛之助に変更されたんだよな!三谷作品でもおなじみ! 変更というか大河の方だと一瞬出…
一 梅原猛氏の『隠された十字架 法隆寺論』を読んだ。法隆寺は再建されたのだ、ということは戦後になって立証された。なぜ再建されたか。この事について梅原氏は、聖徳太子ならびに太子一族を殺した藤原氏に対する太子たちの怨念を、封じ込めるのが最大の目的であった、と述べている。梅原氏の説は中々説得力があって面白かった。私は引き続いて、彼の書いた『水底(みなそこ)の歌』を長男に頼んでアマゾン通販で手に入れたので昨日から読み始めた。文庫本で上下二巻の千頁に達するような大部なものである。上巻のはじめに、梅原氏はこれまでの柿本人麿の死に関しての諸説、そして特にこの事に関しての斎藤茂吉の自説を詳しく紹介している。私…
東京方面からの観光地としても人気(たぶん)の飯能市。 観光名所は飯能駅から割と距離があるのだが、街中には古民家や蔵が点在している。 なのでそれらを見ながら歩くのもまた楽しい。 建物の多くは戊辰戦争のひとつ、飯能戦争で結構燃えてしまったらしい… そんな街中にある蔵カフェ 草風庵の思い出! https://www.instagram.com/sofuan222/ これは明治後期の蔵らしい、この蔵からしても飯能戦争なんて親世代くらいの出来事ですな。 義 が気になっちゃう! 既に蔵の中は満席だったからかテラス席へ。 6月後半で暑くなっていた時期にテラス席はちょっとキツいわね。 我々は運よく日陰だったけ…
7泊8日の京都旅行、6日目。 ホテルから徒歩で約15分、梅小路公園へ。 梅小路公園| 京都市都市緑化協会 公園からイルカが少し見えた、ショーのウォーミングアップ? 9時30分頃に京都水族館に到着。 オリックス(株)の株主カードで入場料金10%OFF、1,980円。 まず、オオサンショウウオ。 ゴマフアザラシが可愛い、水のゼリー(?)を食べていた。 ペンギンは泳ぐのが速く、地上では毛づくろい率が高かった。 クラゲワンダーエリアのGURURIは360度をミズクラゲに囲まれている。 他にも、パシフィックシーネットル、アトランティックシーネットル、アカクラゲ、アカクラゲなどがいた。個人的にはキャノンボ…
3199日目・文字霊日記 ウシにヒカれて・・・ゼンコウ字・・・毎理・・・ ↓↑ 『日本書紀』巻14 大泊瀬幼武天皇 雄略天皇 二十年冬 ↓↑ 廿年冬 高麗王 大發軍兵 伐盡 百濟 爰有小許遺衆 聚居 倉下(へすおと) 兵糧既盡 憂泣茲深 ...百濟記云 蓋鹵王 乙卯年冬 狛(高句麗)大軍來 攻 大城七日七夜 王城降陷 遂 失 尉禮(百済)國 王及 大后 王子等 皆沒敵手 ↓↑ 501年 武寧王即位 熊津 を中心とする 南朝 倭国 との関係を深め 領内に22の拠点を定め 王の宗族を派遣し地域支配を強化 『日本書紀』 日本から百済へ 任那四県を割譲 513年 伽耶地方の有力国 伴跛から 己汶 帯沙…
皇室とともに 只今、メールで陳情提出しました。 教育人材育成のための陳情 令和4年8月12日 愛知県稲沢市平和町下起南113 今枝正晴 09034248133 文部科学大臣 永岡桂子殿 大臣御就任おめでとうございます。早速ではありますが、教育人材育成を図り教育の向上を急がないといけません。「三つ子の魂百まで」といいます。小さいころからしっかりと教育を行うことが大切だと考えて居ました。家庭教育の大切さも考えて居ます。そこへ、西鋭夫教授が、小学校の先生の給与を一番高くしていい教員を集める。小中高大学の順に小学校が一番給与を高くすることを提案されていました。そういう、発想はなかったです。そこに、アレ…
名刺判の鶏卵写真。明治6年か7年の撮影だろうと考えられる。留学先のベルリンで写された北白川宮能久親王を囲む公家・大名の子弟らの写真。『海外における公家大名展』(霞会館、1980年)や『坊城俊章 日記・記録集成』(芙蓉書房出版、1998年)といった図録や本に、それぞれ北白川家と坊城家に伝わったものが紹介されている。鶴岡市の致道館博物館にもパネルで展示されていたものをだいぶ前に見た記憶がある。どのような人々が写されているのかは『海外における公家大名展』に分かりやすい人物配置図が載っているので転載させてもらおう。 戊辰戦争で彰義隊に奉ぜられ、奥羽越列藩同盟の盟主と仰がれた輪王寺宮は一年の京都での謹慎…
(は行~ ) 16名 姓 名 年令 所属等 家族・出身地・その他参考 蓮見源次郎 32 3番組 ●父1人 ●埼玉郡戸ヶ崎村居住(三郷市) ●「目録」に名なく、江戸帰還直後に加藤善次郎らと帰郷か。以後の去就不明。 ●神道無念流加藤善次郎の明治10年5月菖蒲神社奉額に門人名及び「建具師蓮見源次郎」とあり。 福永正蔵 40 道中世話役 ●母妻子4人 ・修験福永山正蔵院 ・文政7年生ヵ ・北有馬太郎門人 ●高麗郡赤工村住(飯能市) ●「目録」に名なく、帰府直後に帰郷か。 ●福永山正蔵院に関し、『新編武蔵風土記稿』に「下赤工村、福山院と号す、本山修験郡中篠井村観音堂配下なり」と。現在廃院。 ●「北有馬太…
日本三大花火の一つ、長岡花火、初めて見に行ってきました。 身体頑健!?なうちに見に行かなくてはと(笑) 8月3日、天気予報は夜の長岡は絶賛雨・・・で、どうしようか迷いましたが、県民割を使ったバス旅行は決行、傘はさせないので雨合羽(レインコート)、長靴を用意していざ出発! 結果的には行って良かった!!時折パラパラっと雨は降りましたが豪雨というほどにはならず、小雨から中雨、そのせいか気温はむちゃくちゃ暑いわけでなく猛暑よりはよかった(微妙だけど) 口火を切ったのは、ナイアガラ花火。 花火はしょっぱなから堪能させていただきました! どれもこれもスケールが大きい!単発花火でさえ”でか!!”と思えるほど…
飯盛山を後にし、武家屋敷に向かいます ここは会津藩家老の西郷頼母邸です 西郷頼母と言えば、藩主の松平容保が京都守護職に就くことを最後まで反対していた方ですね はじめは就任を固辞していた容保でしたが、越前藩主から藩祖保科正之の会津藩家訓を盾に説得されて決意したようです いつの時代も、根拠・正論で攻めてくる人がいるんですね~ bukeyashiki.com 偉い方のお屋敷だけあって、結構な広さです😀 総敷地面積は七千坪あるとか💦 式台玄関 ここから籠に乗ってお城まで通勤してたのかなぁ…と思っていましたが 籠はよほどの行事の時でないと乗れないと解説がありました😅 敷地内にある歴史資料館 初代藩主の保…
会津まで来て、「親方」の実家の空き家で、おやじが3人合宿生活をしている。 第二日目 合宿の朝、昨夜の大酒盛りの名残をとどめて、6時ころフスぼけた顔をぶら下げて起きてきた。そして、食パンにハムとトマトを挟んで食う者、昨夜の海苔巻をかじる者、さまざま、何しろおやじだし、面倒だし、調理は一切しないことに決めてある。 「親方」が、今日は会津の更に秘境の「南会津」を案内してくれるという。なにしろ彼はこの地の出であるし、何事にも、大丈夫だよ、というのが口癖で悠揚迫らぬ態度だから、運転担当の「現場監督」ともども、大船に乗った気持ちになった。 雨もよいの会津若松市を南に走って抜け、郊外に出ると雨上がりの清々し…
今日は会津のまちなか周遊バスに乗って、歴史散策に行きます😊 バイクで来たんだからバイクで周らないの?と思われた方… まったくその通りです笑 朝から晴れてかなり暑く、かと言って軽装で乗るのも怖いので断念しました😫 CBとレブルは、ホテルの駐車場にお留守番です しかし散策するための靴を持ってきていない…😱👟 バイクブーツで1日歩き回るのはキツいでしょ、ということで 急きょ、近くのホームセンターにお買い物に💦 ダイユーエイト 会津若松店 ホームセンターなので、カジュアルよりも実用性の高い靴の品揃えが充実していますね 履きやすそうな安全靴を購入しました😅 会津若松駅前から、 飯森山方面回りのあかべぇ号…