1868年(戊辰)1月から1869年5月まで行われた、「明治維新」における日本の内戦。 明治新政府が旧幕府勢力を「討伐」し、政権の正統性を内外に喧伝するために行われた。 鳥羽・伏見の戦い(京都)に始まり、江戸無血開城、彰義隊討伐(上野戦争)、奥羽越列藩同盟の成立と東北戦争などを経て、箱館戦争における榎本武揚の降伏によって終了した。
朝風呂に入って主人もなんとなく元気になってきたので、ラッキーピエロの「戸倉店」へ行ってきました。 1987年創業の「ラッキーピエロ」については、子供たちが小さい頃はここまで大きくなっていなかったのでしょうか…知らないでいました。 昨今では、函館で大人気のお店ということを割と最近になって知ったのです…。 前日にタクシーの運転手さんが、「ここが最寄りのラッキーピエロだと思います!」と教えてくれていたので、迷わずホテルでタクシーを呼んで連れていってもらいました。 ↑ 戸倉店 - 函館ラッキーピエロより引用させていただきました 雨が凄くて撮れなかったので、引用しました。 晴れてると雰囲気が違います(^…
慶応4年/明治元年(1868年)に勃発した戊辰戦争。 どうしても白虎隊の悲劇を始めとする会津戦争に着目されがちであるが、実際のところ、福島県内の各所において大小様々な小競り合いが発生、同地にて落命した者がいたことを忘れてはならないものだと思う。 そして、その中には、当然非業の戦死を遂げた者が未だ成仏できず・・・という可能性があるのではないか、そう常々私は考えてしまう。 とは言え、その「大小様々な」小競り合いが発生した場所を逐一把握している程私自身郷土史の造形はないところであり、具体的な場所等なかなかうまくお伝えできないところであるが、それでもなお、知り得ている場所について、つらつら書いて行きた…
2025年は福島県の会津エリアに行くぞー!ということで。会津と所縁のある大河ドラマ『八重の桜』見まして。これまで5回に分けて1~25話について綴りました。 yu1-simplist.hatenablog.com 25話ではついに会津と新政府軍の戦いが始まってしまいました。二本松城や母成峠は新政府軍に落ち、会津の鶴ヶ城まであとわずかで到着してしまいます。今回は26話~についてネタバレ交えて綴っていきたいと思います。 第26話 八重、決戦のとき 第27話 第28話 自慢の娘 第29話 鶴ヶ城 開城 第30話 再起への道 よもやま話 第26話 八重、決戦のとき 慶応4年(1868年)8月23日、新政…
2016年の日本映画「殿!利息でござる」 お上に大金を貸し付けるという大それたプロジェクト 庶民の生活を笑いと涙で描く 戊辰戦争で町人たちはどうなったのだろう 羽生結弦さんが藩主で登場 お上に大金を貸し付けるという大それたプロジェクト こんな面白い映画が邦画にあるとは知らなかった。 2016年の映画「殿!利息でござる」のことである。 時代劇なのだけれど、勧善懲悪はまったくなく、テーマに現代性があるのだ。 なんといってもお金の話なのだから。 これは実話をもとにしていて、原作は磯田道史氏による「無私の日本人」に収録されているそうだ。 ああ、これは絶対に読みたいな。 そう言えば、映画「武士の家計簿」…
極悪非道な十人の罪人たちと、剣豪で実直な侍が、決死隊として 命をかけて砦(とりで)を守る、生きるための壮絶な物語 任務を果たせば、十人の罪人は無罪放免、約束は守られるのか 無事娑婆(しゃば)に出て、最愛の妻に会うことができるのか 江戸末期、新発田(しばた)藩を舞台にした、映画「十一人の賊軍」 事件は新発田藩の悪あがき 江戸幕府から明治政府へと、政権が移り変わる激動の時代が舞台 戊辰(ぼしん)戦争の最中、新発田(しばた)藩における歴史的事件 新政府軍と、対立する奥羽越(おううえつ)列藩同盟に加わっていた 新発田藩で、繰り広げられた同盟への裏切り、11人の運命は・・・ 戊辰戦争 1868年、江戸幕…
(湿版写真「松前家十七世 崇廣」松前町教育委員会) ★(当館学芸員)「見どころ解説 蠣崎波響と松前の至宝 蠣崎波響生誕260年記念展」 北海道立函館美術館、2024年11月16日(土)14:00 (WEBサイト→) artmuseum.pref.hokkaido.lg.jp 松前藩が居所とした日本最北の城下町・松前町近郊では、早くから美術文化が醸成されてきました。また、2024年に生誕260年を迎える蠣崎波響は、松前藩家老もつとめた著名な文人画家です。 (蠣崎波響『柴垣群雀図』、1796年(寛保8年)町指定文化財、松前町教育委員会) 本展では、蠣崎波響を中心とする松前藩ゆかりの優品、幕末・明治…
男の一生は、美しさをつくるためのものだ。俺はそう信じている。(土方歳三) 一条真也です。言葉は、人生をも変えうる力を持っています今回の名言は、土方歳三(1835年~1869年)の言葉です、彼は幕末期の幕臣、新選組副長。1869(明治2)年、戊辰戦争の最後の戦場になった箱館五稜郭防衛戦で、狙撃を受け戦死。34歳没。 新選組の副組長として函館に散った土方歳三。その最期の潔さゆえか、絶大な人気を誇っています。彼の死生観は美意識として結実していたことが、この言葉から推測できます。その美学を追求したがゆえに、彼は今も憧れの中にあるのでしょう。新選組は維新の志士たちと対極で語られます。片や変革者の英雄とし…
北越戊辰戦争で、長岡城を奪還した河井継之助が被弾した場所はいったいどこなのか。わし、前々から気になっておったのじゃが、どうやらそれらしい場所が特定されていると聞いたので、先般、新潟にいった時に立ち寄ってみた。今回はその話を聞いておくれ。 河井継之助、被弾の地(新潟県長岡市新町2丁目)
「加茂軍議」とは、越後方面の戊辰戦争を大きく左右した重要な軍事会議じゃ。長岡藩軍事総督・河井継之助のリーダーシップや戦略的な決断が、歴史に与えた影響などを紹介したいと思う。過日、新潟に遠征し加茂を旅した備忘録も含めて紹介するぞ。 青海神社(新潟県加茂市)
趣味で福島県内、いや全国の心霊スポットに関する情報を集めるようになりもう幾年の月日が立つ。 当初は情報を集めることに満足をしていた自分であるが、やがて様々な情報を集めるともに、全国各地で似通った「心霊スポットと称されるようになった過程」が点在していることに気がつくと、次第に「心霊スポットと称されるようになった過程・原因に、事件・事故等の何らかの歴史的な事実があるか」という点に着目するようになった。 ようは、よく廃墟にある「オーナー一家がその場で自殺した」だのの曰くについて、それが本当に起こったものなのか裏付けがないと信用できない、というものである(もっとも、この裏付けを見つけ出すことはなかなか…