嘉永6年(1853年)にペリーが来航した。軍事威嚇を前に、幕府(阿部正弘)は翌年に日米和親条約を結び、下田と函館を開港、二百年越しの鎖国を解いた。併せて広く人材を求め、講武所(後の陸軍)、長崎海軍伝習所(海軍)、洋学所(東京大)などを設けて国力強化に務めた(安政の改革)。 安政4年(57年)には総領事ハリスが登城して通商条約の締結を求めた。後任の堀田正睦(佐倉藩主、開国派)は締結の勅許を求めたが、孝明や公家の強い反対で頓挫・失脚する。家定の後継者選び(慶喜か慶福)でも幕府内は混乱するなか、井伊直弼が大老に就任した(安政5年4月)。 直弼は後継者を慶福(家茂)に決め、勅許なしで修好通商条約を5ヶ…