思想家・吉田松陰 嘉永7(1854)年、私が24歳のとき2度目のペリー艦隊が来ました。海外の文化に触れたくて、下田に停泊中の軍艦に小舟で乗りつけ「海外に連れて行ってほしい」と頼んでみたんです。しかし、この密航の申し出は当然ですが却下されました。陸に戻り奉行所に理由を言ったところ牢に入れられてしまいます。 しばらくして江戸の牢から長州藩の"野山獄"という牢屋に移されます。何もすることがないので1年間に数百冊の本を読みました。また牢内で黒船への密航を振り返った書籍『幽囚録』も書きました。 翌年免獄となり実家杉家に幽閉の身となりました。そこで"松下村塾"を開き、幕末から明治にかけて活躍した人材の育成…