1815年10月16日〜文久2(1862)年8月27日。幕末の近江彦根藩士、国学者。井伊直弼について出世。井伊の安政の大獄を指揮。ペリー来航以来、揺らぎ始めた幕府の権威。薩長両藩の国事周旋を契機に尊攘激派の勢力が伸張。九条家の島田左近が暗殺、公武合体派岩倉具視らが失脚。井伊直弼が断行した安政の大獄の反動で投獄・斬罪。辞世の句;「飛鳥川きのふの淵はけふの瀬と かはるならひを我身にそ見る」。横井小楠が大目付;岡部長常(駿河守)に幕政改革を説いた日であった。
持論「国是七条」;
(1).将軍上洛と失政の陳謝
(2).参勤交代廃止(術職へ)
(3).諸大名の妻子の帰国
(4).外様譜代に拘らない人材登用
(5).言路洞開と「公共」の政治
(6).海軍振興と強兵
(7).相対交易から官交易へ
に基づき。