1615年の「大阪・夏の陣」で、難攻不落な大阪城も、京都の方広寺の鐘の銘;「国家安泰」&「君臣豊楽」に言い掛かりをつけ、豊臣秀頼とその母;淀君の自害によって決着した、1467年の応仁の乱以来実に153年間続いた戦国時代の終結の際、徳川家康が称した平和の象徴キーワード。 「元和」は当時の年号で、「偃武」は「武器を伏せ収める」意。
私:今度は利常を追おう。利常のコアに迫りたい。利常は、信長や利休と違い、平和な世(元和偃武)を生きた。豊臣か? 徳川か? キリスト教か? 天神信仰か? 利常には、じつは、次第に小さなことになっていった。 N:そうなのですか?。 私:時代が利常をそうさせたのだ。 N:では何が大きかったのでしょう? 私:天皇だな。 N:意外なところに話が飛びましたね。 私:天皇が日本の文化を支えてきた。天皇が日本の美意識を支えてきた。利常は後水尾天皇の「文化サロン」に参加して、そのことを自覚した。日本の歴史を省みると、南北朝時代以前は、天皇に権力が集中していて、天皇の時代には文化の大輪が咲いた。古墳文化も飛鳥文化…
江戸時代前期の出来事を年表にまとめた。 江戸時代 は 日本の歴史の時代区分の一つである。 前は 安土桃山時代 後は 明治時代 関連記事 参考 江戸時代の小区分 江戸時代初期の概要 江戸時代前期の概要 江戸時代 初期・前期 の出来事 1590年 (天正18年) 小田原征伐 1590年(天正18年) 利根川東遷事業 1590年(天正18年) 神田上水 開削 1592年(天正20年) 日比谷入り江 埋立 1600年 (慶長5年) 4月 リーフデ号 漂着 1600年 (慶長5年) 10月関ヶ原の戦い 1602年 (慶長7年) フランシスコ・デ・モラレス 来日 1603年 (慶長8年) ルイス・ソテロ …
安土桃山時代の出来事を年表にまとめた。 安土桃山時代 は 日本の歴史の時代区分の一つである。 前は 室町時代 後は 江戸時代 関連記事 安土桃山時代の概要 安土桃山時代の文化 安土桃山時代の出来事 1557年 (弘治3年) 正親町天皇 即位 1568年 (永禄11年) 9月 織田信長 が 足利義昭 を奉じて 上洛 1568年 (永禄11年) 11月 足利 義昭 15代将軍に 1569年(永禄12年) ルイス・フロイス 来日 1570年 (元亀元年) 石山合戦 1571年 (元亀2年) 比叡山焼き討ち 1573年 (元亀4年) 7月槇島城の戦い 1573年 (天正元年) 9月 一乗谷城の戦い 1…
【社会保険料を引き上げ72%が反対!】一揆寸前?令和の時代の「五公五民」~「維新は減税政党ではない」減税公約を反故にして増税議論を求める維新~ ■「そろそろ一揆」「もうお金ない」少子化対策で社保料アップ72%が反対、庶民の切実な声を聞け FLASH 2023.04.17 https://smart-flash.jp/sociopolitics/231451 ~~~ 4月15・16両日、毎日新聞が実施した全国世論調査で、少子化対策の財源を確保するために、社会保険料を引き上げることについて、「反対」が72%と、「賛成」18%を大幅に上回った。増税による財源確保については、「反対」67%「賛成」24…
2024/3/9土曜日 7時半に起床し洗濯。 ベランダの水やりも済ませたら9時から読書。 昨日に引き続きアーネスト・サトウの日記本。 日記は日々めまぐるしく変わる幕末の動乱に関して他人事のように淡々と書かれている。 そしてジャパンタイムズで発表した英国策論の内容通りに事が運ばれている。 事が運ばれるように西郷や大久保、坂本のような下級藩士達に陰ながら指示を出し激を飛ばしている。 が、倒したい幕府は徳川慶喜始め優秀なブレーンが多いからなかなか策に乗って来ない。 そこで、薩摩藩は浪人を雇い江戸で放火、強盗、殺人事件を起こし撹乱する作戦に出た。←立派な犯罪。テロ行為。武士の風上にも置けない。 江戸の…
酒造業を成功させ、大坂に進出した鴻池新右衛門(新六)。諸説ありますが大坂城下の旧久宝寺町に店舗を開いたと伝わります。現在その跡を示すものは残っていませんが、町内に「銅座公園」が。このあたりに鋳銅や銅の取引を行う「銅座」があった名残でしょう。 大阪府中央区の銅座公園(内久宝寺町2丁目) 大阪進出の時期が前回ご紹介したように元和五年(1619)のこと。この元和という時代は鴻池家だけでなく「元和偃武」の言葉で知られるように、日本史上でも大きな変革が起こった時期でした。 元和元年=慶長二十年(1615)に大坂夏の陣により豊臣家が滅亡、領主同士の争いが止み、武器を偃(ふ)せて武器庫に収めたことから「偃武…
日本史 家康・秀忠の時代 キリスト教を徹底的に排除した。 1612年、天領(幕府の直轄地)に、禁教令を発布。その翌年には、全国に展開。 つまりそれは、キリスト教を禁止した。 1614年、キリシタン大名を国外追放した。 1615年、大阪夏の陣。 家康の戦略的戦争によって、豊臣秀頼は自刃。これにより、豊臣家は滅亡。 これを最後に、家康は、「元和偃武」は表明。 これは戦争終結・平和宣言である。つまり、「江戸幕府の言うことを聞くように」ということ。 ここから、大名・朝廷・寺院の統制を始める。 大名統制 1615年、一国一城令を発布。本城以外の城破却を命令。 同じく1615年、武家諸法度元和令を制定。 …
空手道場で、最も大切なものは〝礼〟であるとされています。 私も空手指導者として道場生、特に子ども達への礼儀指導には格別な留意をしています。 その格別な留意の一つとして、私は子ども達への礼儀指導において「子どもに大人びた礼儀を強制しない」ように心掛けています。 礼儀は〝儀〟の文字が示すように儀式のニュアンスがありますが、子どもに大人びた礼儀を強制すると、ただの礼の儀式となり〝礼〟の根本が失われるように個人的に思います。 〝礼〟は儒教として礼を体系化した古代中国の孔子の時代から、その根本は秩序にあります。 社会など人間関係に秩序をもたらすのが礼の根本ですが、秩序の必要性が生じる基盤は時代ともに変遷…
あけましておめでとうございます。 年の暮れは信長の野望三昧、尼子経久さんで遊んでいたんですが、政策や家宰での能力upを積み重ねるとアホみたいに強くなってかんたんしました。 信長の野望・新生PK「兄弟相克 長尾景虎攻略感想 上杉謙信プレイは麻薬ですね」 - 肝胆ブログ 信長の野望・新生PK「天下布武 浪岡顕範攻略感想 浪岡伝・鎮守将軍の旗を称えよ(※武将所属替あり)」 - 肝胆ブログ 信長の野望・新生PK「三方ヶ原の戦い 武田信玄・勝頼攻略感想 今作の武田家威風プレイは楽しい」 - 肝胆ブログ 信長の野望・新生PK「手取川の戦い 毛利輝元攻略感想 国替すれば織田家相手も楽勝」 - 肝胆ブログ 信…
信長の野望・新生PK、前回はじっくりと浪岡家で攻略したので、今回はサクッと強い人で攻略しようと思って長尾景虎(上杉謙信)さんでプレイしてみたところ、政略画面では「義の将」特性が発動しまくり合戦画面では「越後の龍」特性が発動しまくりで脳内から変な麻薬が分泌される快感がパなくてかんたんしました。 信長の野望・新生PK「天下布武 浪岡顕範攻略感想 浪岡伝・鎮守将軍の旗を称えよ(※武将所属替あり)」 - 肝胆ブログ 信長の野望・新生PK「三方ヶ原の戦い 武田信玄・勝頼攻略感想 今作の武田家威風プレイは楽しい」 - 肝胆ブログ 信長の野望・新生PK「手取川の戦い 毛利輝元攻略感想 国替すれば織田家相手も…
通読というか、通視聴(こんな言葉ないけど)して思ったことメモ。 ①1年間を通して思ったことは原作の小説がない分、最新の研究や解釈を盛り込んだ意欲的な家康像が出来ていたように思う。江戸時代の神君家康とも、逆に明治以降の狸親父とも異なる、人間家康を描いたドラマになったなと感じる。 ②人間家康にフォーカスしたドラマだったから三河家臣団との青春群像劇的な要素が結果として強まったかなとも。そして神君でもなく、信長・秀吉的な天才ではなく、普通の人が努力と忍耐と家臣らの支えによって遂に「元和偃武」を成し遂げるという、親しみのある話になった。 ③最終回は演劇人・三谷幸喜の「鎌倉殿」と違って「ドラマ脚本家・古沢…
丸亀市市内のため池を歩き尽くすぞという無謀な計画は熱中症の危険から断念し、冷房のおかげで生き返りました。 コンビニエンスストアを出ると、小高いところに丸亀城の天守閣が見えます。 そこから1.5kmぐらいでしょうか。 さえぎるものもなく現代でも丸亀市内からのどこからも見えそうな風景が、なんとも得難いことに思えました。 城南町と山北町の間の道をまっすぐ歩けば、丸亀城とお堀に突き当たります。 不思議なのはそのお城に向かう道路はてっきり主要な県道だと思ったのですが、地図で確認しても県道でもなさそうです。 歩いていた時にも特に「〇〇通り」といった標識にも気づかなかったのですが、地元の方々にとって何通りと…
信長の野望・新生PK、イケてるアップデートが続いてかんたんしましたね。 こんなに良心的なアップデートが何度もなされた作品は久しぶりじゃないでしょうか。 コーエー社に対する忠誠がアップしてしまったファンも多いんじゃないかと思います。 信長の野望・新生PK「兄弟相克 長尾景虎攻略感想 上杉謙信プレイは麻薬ですね」 - 肝胆ブログ 信長の野望・新生PK「三方ヶ原の戦い 武田信玄・勝頼攻略感想 今作の武田家威風プレイは楽しい」 - 肝胆ブログ 信長の野望・新生PK「手取川の戦い 毛利輝元攻略感想 国替すれば織田家相手も楽勝」 - 肝胆ブログ 信長の野望・新生PK「天下無事ならず 豊臣秀次攻略感想 畿内…
12月になってしまい、だいぶ「炭酸が抜けた感」がありますが、引き続いて、11月14日(火)に行ってきた奈良の旅の続き記事です。 薬師寺へは唐招提寺から歩いて行ったので、北から入りました。 なので「裏口入学かなぁ」と思いましたが、いやいや、最寄り駅からだとこちらから入ることになるためか、北門にあたる興楽門も立派ですし、受付も立派でした。さすがは薬師寺さんです。 その入り口の少し手前に、薬師寺伽藍建設のための作業場と資材倉庫がありました。 もちろん、入るわけにはいかないのです(不法侵入じゃ)が、建設を進めるための木材などが置いてあるようで、この寺の再建に向ける熱意を感じました。 往時の姿に戻すため…
寝る前に書くことにタイトルなんか付けない。八海山がぶがぶ飲んだらおねむになったんで、本編明日書きます。m(__)m今日の大河ドラマ『どうする家康』「諸国の大名に大坂攻めの布令を出せ」(徳川家康/松本 潤)片桐且元大坂追放をもって大坂攻めを決断したいえやっサン。大坂攻めで得られる領地は65万石。全国の大名を動員したら明らかに恩賞不足だ。それでも、いえやっサンは大坂攻めを決断した。豊臣がある限り、真の平和は訪れない。いえやっサンは平和な世の中を実現するために豊臣討伐を実行した。関ヶ原よりはるかに多い死傷者。関ヶ原よりはるかに厳しい残党狩り。まだ児童だった豊臣国松さえ斬首された。大坂の陣のあと、島原…