1615年の「大阪・夏の陣」で、難攻不落な大阪城も、京都の方広寺の鐘の銘;「国家安泰」&「君臣豊楽」に言い掛かりをつけ、豊臣秀頼とその母;淀君の自害によって決着した、1467年の応仁の乱以来実に153年間続いた戦国時代の終結の際、徳川家康が称した平和の象徴キーワード。 「元和」は当時の年号で、「偃武」は「武器を伏せ収める」意。
私:今度は利常を追おう。利常のコアに迫りたい。利常は、信長や利休と違い、平和な世(元和偃武)を生きた。豊臣か? 徳川か? キリスト教か? 天神信仰か? 利常には、じつは、次第に小さなことになっていった。 N:そうなのですか?。 私:時代が利常をそうさせたのだ。 N:では何が大きかったのでしょう? 私:天皇だな。 N:意外なところに話が飛びましたね。 私:天皇が日本の文化を支えてきた。天皇が日本の美意識を支えてきた。利常は後水尾天皇の「文化サロン」に参加して、そのことを自覚した。日本の歴史を省みると、南北朝時代以前は、天皇に権力が集中していて、天皇の時代には文化の大輪が咲いた。古墳文化も飛鳥文化…
寝る前に書くことにタイトルなんか付けない。久保田がぶがぶ飲んだらおねむになったんで、本編明日書きます。 m(_ _)m 今日の大河ドラマ 『どうする家康』 「子供はすぐに大人になります。次は更なる敵となって我等の前に現れるやも知れませんぞ」 (本多忠勝/山田裕貴) 遠江領内視察中に若者に襲われるいえやっサン。 捕らえた若者を放免せよと命じたいえやっサンに本多忠勝が「次は更なる敵となって…」と処刑するよう進言する。 いえやっサンを襲った若者はドラマでは井伊直政となっているが、流石にそれは無いだろう。 が、類似の事件はあったかも知れない。 前の領主が恋しくて新領主に一揆を起こすのが当たり前の時代だ…
【社会保険料を引き上げ72%が反対!】一揆寸前?令和の時代の「五公五民」~「維新は減税政党ではない」減税公約を反故にして増税議論を求める維新~ ■「そろそろ一揆」「もうお金ない」少子化対策で社保料アップ72%が反対、庶民の切実な声を聞け FLASH 2023.04.17 https://smart-flash.jp/sociopolitics/231451 ~~~ 4月15・16両日、毎日新聞が実施した全国世論調査で、少子化対策の財源を確保するために、社会保険料を引き上げることについて、「反対」が72%と、「賛成」18%を大幅に上回った。増税による財源確保については、「反対」67%「賛成」24…
旧足守藩侍屋敷遺構から北に歩くと、足守藩の陣屋跡がある。 陣屋は、城を持つことが出来なかった小規模藩や旗本、藩の家老らが領地に設けた政庁のことである。 石高2万5千石の小藩だった足守藩も、城を持つことは出来ず、陣屋を築いた。 足守藩陣屋図 大坂夏の陣で功績を挙げ、元和元年(1615年)に足守藩主になった木下利房は、宮地山南東麓の地に陣屋を築いた。 陣屋の周りには、ささやかだが濠を巡らした。この濠は今でも残っていて、陣屋を偲ぶよすがとなっている。 陣屋の大手 陣屋の濠 陣屋の大手は東側にあるが、南側には濠に石橋が架かっていて、かつての陣屋の雰囲気を残している。 陣屋の東側の石橋 平地に築かれた陣…
貝原益軒を書こう八十二 中村克博 根岸は淀川を下っていた。船頭が一人の屋形船を雇っていた。根岸は褥の上に横になって夜着をかけていた。開けた障子窓から波間がちらちら光っていた。三日月は屋形の屋根で見えないが薄雲が流れていくのは月明りでわかった。 二人の辻斬りを成敗して、黒田屋敷に結果を報告したあと鴨川で小舟を雇い伏見から淀川にはいっていた。 根岸は目が冴えていた。あの辻斬りの若者二人は譜代大名の家臣で高禄の子弟で勉学のために京に留学させられた者らしい。何の不自由もない恵まれた身分なのになぜ辻斬りなどしたのか・・・ 生け捕りにもできただろうが、斬れとの藩命だった。京の町での事件だから町奉行の仕事だ…
おい左平治、そろそろ例のあの「かりぃ」が届くから、おめえそれに合わせて白まんま炊いとけ。 おっ、来たぜ左平治。 「かりぃ」の出前持ちがよ。 おうれなりん、今日の「かりぃ」はかしわ(鶏肉)がゴロンゴロン入っててウマそうだな。 ん? 左平治、おめえまだ知らなかったのか? こいつァこないだまでそこの長屋に住んでた下総(いまの千葉県)のしょうゆ屋の娘のれなだ。 印度人のゆかサンが駿河台に店ェ構えるときに人手が欲しいってことでな、そンでこいつが長屋から駿河台に行ったのよ。 駿河台に行ったとき、ゆかサンがこいつを印度人にするって言ってな。そンでこいつァ名前がれなかられなりんに変わったのよ。 ああそうか、左…
江戸時代前期の出来事を年表にまとめた。 江戸時代 は 日本の歴史の時代区分の一つである。 前は 安土桃山時代 後は 明治時代 関連記事 参考 江戸時代の小区分 江戸時代初期の概要 江戸時代前期の概要 江戸時代前期の文化 江戸時代 初期・前期 の出来事 1590年 (天正18年) 小田原征伐 1590年(天正18年) 利根川東遷事業 1590年(天正18年) 神田上水 開削 1592年(天正20年) 日比谷入り江 埋立 1600年 (慶長5年) 4月 リーフデ号 漂着 1600年 (慶長5年) 10月関ヶ原の戦い 1601年 (慶長6年) 慶長小判 発行 1602年 (慶長7年) フランシスコ・…
安土桃山時代の出来事を年表にまとめた。 安土桃山時代 は 日本の歴史の時代区分の一つである。 前は 室町時代 後は 江戸時代 関連記事 安土桃山時代の概要 安土桃山時代の文化 安土桃山時代の出来事 1557年 (弘治3年) 正親町天皇 即位 1568年 (永禄11年) 9月 織田信長 が 足利義昭 を奉じて 上洛 1568年 (永禄11年) 11月 足利 義昭 15代将軍に 1569年(永禄12年) ルイス・フロイス 来日 1570年 (元亀元年) 石山合戦 1571年 (元亀2年) 比叡山焼き討ち 1573年 (元亀4年) 7月槇島城の戦い 1573年 (天正元年) 9月 一乗谷城の戦い 1…
2024/3/9土曜日 7時半に起床し洗濯。 ベランダの水やりも済ませたら9時から読書。 昨日に引き続きアーネスト・サトウの日記本。 日記は日々めまぐるしく変わる幕末の動乱に関して他人事のように淡々と書かれている。 そしてジャパンタイムズで発表した英国策論の内容通りに事が運ばれている。 事が運ばれるように西郷や大久保、坂本のような下級藩士達に陰ながら指示を出し激を飛ばしている。 が、倒したい幕府は徳川慶喜始め優秀なブレーンが多いからなかなか策に乗って来ない。 そこで、薩摩藩は浪人を雇い江戸で放火、強盗、殺人事件を起こし撹乱する作戦に出た。←立派な犯罪。テロ行為。武士の風上にも置けない。 江戸の…
酒造業を成功させ、大坂に進出した鴻池新右衛門(新六)。諸説ありますが大坂城下の旧久宝寺町に店舗を開いたと伝わります。現在その跡を示すものは残っていませんが、町内に「銅座公園」が。このあたりに鋳銅や銅の取引を行う「銅座」があった名残でしょう。 大阪府中央区の銅座公園(内久宝寺町2丁目) 大阪進出の時期が前回ご紹介したように元和五年(1619)のこと。この元和という時代は鴻池家だけでなく「元和偃武」の言葉で知られるように、日本史上でも大きな変革が起こった時期でした。 元和元年=慶長二十年(1615)に大坂夏の陣により豊臣家が滅亡、領主同士の争いが止み、武器を偃(ふ)せて武器庫に収めたことから「偃武…
日本史 家康・秀忠の時代 キリスト教を徹底的に排除した。 1612年、天領(幕府の直轄地)に、禁教令を発布。その翌年には、全国に展開。 つまりそれは、キリスト教を禁止した。 1614年、キリシタン大名を国外追放した。 1615年、大阪夏の陣。 家康の戦略的戦争によって、豊臣秀頼は自刃。これにより、豊臣家は滅亡。 これを最後に、家康は、「元和偃武」は表明。 これは戦争終結・平和宣言である。つまり、「江戸幕府の言うことを聞くように」ということ。 ここから、大名・朝廷・寺院の統制を始める。 大名統制 1615年、一国一城令を発布。本城以外の城破却を命令。 同じく1615年、武家諸法度元和令を制定。 …
空手道場で、最も大切なものは〝礼〟であるとされています。 私も空手指導者として道場生、特に子ども達への礼儀指導には格別な留意をしています。 その格別な留意の一つとして、私は子ども達への礼儀指導において「子どもに大人びた礼儀を強制しない」ように心掛けています。 礼儀は〝儀〟の文字が示すように儀式のニュアンスがありますが、子どもに大人びた礼儀を強制すると、ただの礼の儀式となり〝礼〟の根本が失われるように個人的に思います。 〝礼〟は儒教として礼を体系化した古代中国の孔子の時代から、その根本は秩序にあります。 社会など人間関係に秩序をもたらすのが礼の根本ですが、秩序の必要性が生じる基盤は時代ともに変遷…
あけましておめでとうございます。 年の暮れは信長の野望三昧、尼子経久さんで遊んでいたんですが、政策や家宰での能力upを積み重ねるとアホみたいに強くなってかんたんしました。 信長の野望・新生PK「兄弟相克 長尾景虎攻略感想 上杉謙信プレイは麻薬ですね」 - 肝胆ブログ 信長の野望・新生PK「天下布武 浪岡顕範攻略感想 浪岡伝・鎮守将軍の旗を称えよ(※武将所属替あり)」 - 肝胆ブログ 信長の野望・新生PK「三方ヶ原の戦い 武田信玄・勝頼攻略感想 今作の武田家威風プレイは楽しい」 - 肝胆ブログ 信長の野望・新生PK「手取川の戦い 毛利輝元攻略感想 国替すれば織田家相手も楽勝」 - 肝胆ブログ 信…